TIME TRAVELER CHITA

I'm CHITA, Hongkong super star. Tibet

衰える語学力

今日、こんな夢を見た。

 

自分は現実と同じ会社の職員で、スーツを着ている。

何かの用事があって、とあるお宅を訪問した。

 

その家は外国にある豪邸で、

1階のフロアだけで物凄い広さ

大理石のツルツルの床が輝いている。

浅くて広い温水プールと、その近くにテーブルや椅子があって何人ものメイドが働いている。

そのうちの一人が自分の知り合いで、

お茶を飲んでいきなさいよと言う。

 

ちょうど向こうで家主とその仲間がパーティをしているのでその輪に入れてもらう。

みんなは英語の歌を歌って踊って楽しそうである。

すると、家主が突然わたしを指してみんなの前に立たせようとしてきた。

みんなが歌っている歌のサビをわたしに歌わせようという感じだった。

 

私は英語で、この歌知らないです。英語もあまりできないから歌えない、というと

途端に場が白けてしまい、家主にも嫌な顔をされてしまう。

気まずすぎて弁解もできずに、そそくさとその場を離れる自分。

気にすんなよ、と声をかけてくれる人も居たが

場を盛り下げてしまった罪悪感と自分への失望感でかなしい気持ちになって目が覚めた。

 

 

なんて情けない夢だろうか。

 

 

実は今の自分の悩みがとても鮮明に表れている。

英語や中国語をはなすことがめっきり減り、どれぐらい話せなくなったかも自覚できていない。

認めるのがこわい。

 

今の仕事は日本語さえ話せればOKなのではあるが、あの場をしらけさせた気の利かなさはもう1つの悩みでもある。

 

あの場で問題だったのは英語がわからないからではなくて、対応力が欠けていたからだと

目が覚めたあとの朧げな脳内で原因を明らかにしていた。

 

適当にでも歌っておけばよかったとか

何かしら話せばよかったとか

色々考えてしまった。

 

 

夢の話は夢として、

またちょっとずつ外国語を日常に引き戻していこうと思う。

いずれまた必要になる時がくるはずだから。

 

言葉もそうだが、気持ちもちょっと立て直したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は2

気がつけばまた一週間が経っていた。

結局あの本は読み終わっていない。

寝る前にちょっとずつ、或いは食後のスタバでちょっとずつ読み進めている。

 

今は神学VS哲学のセクションまできた。

 

何度もいうが内容は初心者向けの易しいものなので、詳しい所はまた勉強しなければならないと思うが、

この考えは賛成だ。とか、

この考えは違う気がする。とか

そういう程度の読みで楽しんでいる。

 

 

初心者向けの本を初心者が紹介するのもアレなので内容のことはここには書かない。

 

今週末には読み切ってしまおう。

 

 

 

そしていつも思うが目の前のことに必死になりすぎて主題を忘れたくない。

忘れない為に、定期的に本や詩文を読むことは大切だと思うようになった。

 

ちょっとずつ自分も変化していってると感じる。

 

 

 

 

人は

最近、面白い本を見つけた。

 

史上最強の哲学入門という本です。

 

いつか哲学を勉強してみたいと思っていたが、なかなかとっかかりにくいので手を出せないでいた。

 

 

最近は何だか毎日を問題なく過ごすことに注力しすぎて、目先の課題しか追っていなかった。

感動もなく、発見もなく、

要はつまんねえ日々を過ごしていたわけでした。

 

そうするとだんだん、感受性が乏しくなり、情熱が沈下していって本当の目標(?)が見えなくなる。

 

欲しいものが全然ない。

やりたいこと、特になし。

 

はぁ、この世で人間らしく生きるためには

やはり思考を止めちゃいけない

と思い、読みやすそうな本を探していたら

この本が絶賛されていたので買ってきて読んだ。

 

実際、めっちゃ面白かった。

古代ギリシャの哲学者から、ルソーやアダムスミスなど世界史で習った人たちの考えた事が

分かりやすくまとめてある。

話し言葉と書き言葉の間くらいなので

活字慣れしてない自分でもスイスイ読めた。

 

いくつかのパートがあって

例えば

真理とは何か。

国家とは何か。

みたいなテーマに合わせて時代順に様々な理論が展開する。

 

個人的には国家のパートが面白いと思った。

 

ベルばらを読んだ時から、ずっと密かにルソーが気になっている。

 

で、どうしたら人が幸せになれるシステム、或いは思想に辿り着くのかね。と

考えつつも

次の資格試験は合格しなければとか

明日はちゃんと仕事を覚えようとか

やっぱり自分サイズの現実が迫ってくるので

それの相手もしないと、と思う。

 

 

とりあえずこれからは読書の時間を増やしたい。

 

話し相手がいないという悲惨な状況に陥ってやっと、本という存在の大きさを知った。

 

 

明日からまた頑張ろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢の中のチベット

この間、夢でチベットにいた。

 

あのカラッとした青空の下で、マニ車を回しながら歩くチベットの人達の後ろをついて行っているところだった。

なぜか自分もマニ車を回していた。

多分その時は1人だった。

そして高地っぽい日の照り方がリアルだった。

 

 

今すごくチベットへ行きたい。

 

思い出はすぐ美化されて、何処も日が経てば経つほどユートピア化していく。

 

 

 

最近はあまり旅をする気分ではなく、また思い出に浸ることも少なかった。

瞑想もしてない。

 

夢がコントロールできたら良いのに。

中学生くらいの時は、夢の中で自由に動けるスキルが欲しくて

色々練習していたが結局身につかず、

かえって寝つきが悪く睡眠障害みたいになってしまった。

 

普段は不快な夢が多いので

チベットにいる、みたいなのは初めてかもしれない。

マニ車、実家に置いて来てしまったけどいつか取りに行こう。

 

 

ちなみに

マニ車だけは日本に売ってないだろうと思っていたがメルカリで普通に売っていた。

メルカリに無いものは無いのでは。

 

 

 

 

気づけば

気づけば5月になっていた。

いつの間にか新しい時代を迎えていた。

 

この1ヶ月はほとんど葉山で過ごしていた。

葉山は海の綺麗なリゾート地である。

マリンスポーツが盛んでいつも海の上には白いヨットの帆が見える。

 

ここに住んでいる人は皆豊かで、大きな立派な犬を連れていたり、高級車を走らせていたり、或いは高級車に立派な犬を乗せていたりなどしている。

金持ちだからといって嫌味な感じもなく、

爽やかで、街並みも整然としていて素敵なところだった。

 

住宅はセンスが良くて、お花がたくさん植えられているのが多かった。

そしてたくさんの家にボートが置かれていた。

たまに絵に描いたようなお屋敷が隠れているのを見かけては勝手に胸を躍らせた。

 

なぜ葉山にいたのかというとそれは仕事の関係だった。

そうでもなければ、こんな所にくるチャンスなんてない。

 

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ワクワクするような大きな鳥がビュンビュン飛んでいる。

 

 

 

1ヶ月滞在したが、とても今の自分には相応しくない上級の街だった。

いつかここに住みたいな、と密かな夢を抱きながら葉山を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終わってしまった

こうしてまた旅が終わってしまった。

 

気づけば、新世界の七不思議のうち3つを達成した(マチュピチュ、万里の長城、ペトラ遺跡)

 

まあペトラ遺跡は、きちんと探索していないのでニワカ オブ ニワカではあるが…

また、万里の長城は最北の一部分だけで、それを万里の長城として認められるか否かはわからない。

微妙なラインだが、こうなったら残りの4つも見に行ってみようかなという気になる。

 

 

そんなこんなで、自分の記録のために書いていたこのブログも気づけば記事数80を超えた。

暇さえあれば読み返して、過去のものもちょくちょく書き直している。

 

見てくれている人がいるかは分からないけど、何かの参考になったらと思っている。

 

 

 

 

 

砂漠での夜、いつまでもあの空気感を心の中に保っていたい。

あそこは無重力の空間だった。

圧倒的宇宙!!

一応地に足はついていたが、心は彼方へ飛んでいった。

これは瞑想の効果かもしれない。

あるいは、葉巻のせいかもしれない。

 

 

 

 

砂漠、海、川、山、高原…

 

次は、イグアスの滝を見に行きたい。

それからイースター島でキャンプしたい。

2度目の南米進出。

 

それまでしばらく日本で頑張ろうと思う。

 

毎日楽しいことを考えて、楽しいことがなければ思い出に頼ろう。

 

 

高原の空、砂漠の夜、遺跡が眠る山!

何歳になってもワクワクしたい。

 

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さらば、ウィーン

そんなこんなでウィーンをしっかりと満喫した。

今回は美術館系に行けなかったので、次来るときはもっと時間をとってゆっくり回ろうと決めた。

もう一度来たいと思わせる所なんてなかなか無いので、さすがウィーン。敬服した。

 

 

満ち足りた気持ちで空港へ向かう。

ここで悲しいことが連発した。

 

話は昨晩に遡るが、宿で音楽を聴いていた時にイヤホンから突然砂嵐音が流れ出したのだ。

これはイヤホンのせいに違いない、と何の疑いも持たず、別の端末に挿して確かめることもせず、空港でappleの純正のイヤホンを購入した。

そして新しいイヤホンをるんるんでiPhoneに挿すとまた砂嵐音。

iPhone本体が壊れたのか、とショックを受けた。

それからふと気がついてググると、再起動すれば直ると書いてあった。

その通りにすると砂嵐音は消え、元のイヤホンもちゃんと機能していることを知った。

 

疲れていたとはいえ、情弱の極みではないか。

 

ちなみにこの元のイヤホン(純正)は、東京のゲストハウスで困っていた中国人を助けた時に貰ったものだ。

 

まあイヤホンも消耗品なので、もう1つ予備に持っていても良いかもしれないね、と遠方の友の励ましによって気持ちを立て直し、搭乗ゲートへ向かう。

 

飛行機に乗る前に、水を買っておこうと思い、カフェの高い高い高い水を買った。

そして一口飲んで、それが炭酸水であることに気づいた。

ショック。

そういえばヨーロッパには炭酸水トラップがあるということを忘れていた。

 

パッケージを見ずに買ってしまったのを後悔した。

諦めて炭酸が抜けるまで待ったが、抜けたところで飲みにくいので新たにもう一本水を買った。

全くわけがわからんが、それもまた炭酸水だった。

 

思ったより自分は疲れていたようだ。

さすがにもう水は諦めて、搭乗ゲートで気を鎮めることに努めた。

 

そういえば、ヨルダンで買ったパワーストーン的な腕輪を今朝は付けていなかったのを思い出した。

買ってから毎日着けていたのに、今朝はそれを外したからこんな悲しい事が立て続けに起きたのでは?とひらめき、すぐさま腕輪を着けた。

 

その甲斐あってか、ウィーン→北京間のフライトでは

2列シートの窓際、横は無人という最高の席を得た。

席を広々使いながら、ファンタスティックビーストの1と2を観た。

トイレ行き放題。

とても快適だった。

 

ヨルダンの腕輪、これはもう外せないな、と思っていたが酷使しすぎたか歪み出したので今はもう着けていない。

 

それから、無事定刻通りに北京につき

少し時間があったのでベンチで寝転がっていたら、知らず知らずのうちにガチ寝していた。

「パッセンジャー…×××××…」のアナウンスで目が覚めた。

見るとボーディングタイム15分前、一瞬ひやっとしたが余裕だった。

 

 

北京→関空のフライトでは2列シートで横に若い中国人の女が座っていたが、

もはやここまで来るとどうでもよかった。

最初のうちはおとなしかったし。

ひたすら爆睡。

 

 

しかし着陸30分前くらいになって、スマホでドラマを見ていたその女は、突然イヤホンを外して本体から音を垂れ流し始めた。

 

全く意味がわからない。さっきまでイヤホンつけて大人しく見てたじゃん。

気圧のせいで聞き取りづらくなったのか知らんが

普通にうるさかったので注意しようか迷った。

中国人あるある、スマホ本体音流し。

 

もうすぐ着くから良いか、と思い直して我慢したがああいう時にすぐ注意して自分の平和を取り戻せる強さが欲しいと思った。

 

 

何はともあれ、今回もまた無事に帰国できた。

盗難、事故、病気怪我共になし。

スマホの画面も無事である(cf.ルアンパバン)

 

 

 

帰って真っ先にラーメンを食べた。

やっぱり美味しい、日本のラーメン。

 

楽しい12日間だった。