TIME TRAVELER CHITA

I'm CHITA, Hongkong super star. Tibet

年越し天津の実情

久しぶりの投稿。

2020年おめでとう!

 

今回の年越しは天津にて。

2020年1日目の朝は天津で迎えました。

さて、かねてよりブログにも記していました、年越し天津。

グローバル陽キャ中国人と何らかのパーティーで楽しく過ごす予定でした。

 

以下、記録。

 

2019年12月30日午後、

関空に到着。

久しぶりの出国&中国でやや緊張気味。

18時のフライト。

特に何も食べず搭乗。

機内食、無かった。若干遅延する。

配られたクッキーを秒で完食。

天津に着いたら、餃子やワンタンを食べたいなあと思いながら3時間のフライトを耐え忍ぶ。

 

身体が衰えたか、3時間ですらしんどく感じた。

ipadに入れていたワイルド・スピード スカイミッション鑑賞。

何度見てもかっこいい。

 

同日午後9時頃、天津到着!

無事、友達と再会。早速地下鉄に乗って市内へ移動。

腹が減ってやばかった。

中国料理が食べたかったが、友達がアラビアンレストランへ連れて行ってくれるというのでおとなしくついて行く。

午後10時半。空腹の限界。

時間がおそすぎた為、シーシャしか提供できないという。

腹減りすぎて今シーシャなんか吸ったら倒れるわいと思いつつ、ふかす。

中国人友が、天津の留学生というベトナム人とメキシコ人を呼んでくれた。

二人共良い奴って感じで、楽しくお喋りをしていたが私の知らない人の名前がちょくちょく出てくるのであんまりついて行けなかった。

とにかく腹が減っていた。

 

腹減ったもう無理、と告げ、場所を変えることに。

ラバンバとかいうメキシカンバーへ移動。

料理、なかなか美味しかった。

メキシコ人が吸っていた小洒落たタバコも美味かった。

 

そのうち午前3時をまわった。

体力の限界だった。

みんな自分より年下だった。

 

寝たい、と告げ中国人友のアパートへ帰宅。

中国のアパートは部屋代が高いのでみんなルームシェアが基本である。

当然のごとく彼女もルームシェア

ルームメイトはトルコ人だかロシア人だかのカップルだった。

午前4時近くに帰宅したにもかかわらず、

なぜかリビングにいるルームメイト。

挨拶を交わす。 

なぜかギターを弾き出すルームメイト。

 

内心、苦笑。

しかし泊めてもらう身分でわがままを言ってはいけない。

シャワーも浴びずにその日は寝た。

 

 

 

 

 

追記 : チベットの湖にて

古いiPhoneのメモになんか書き残したものがあったので、供養。

 

 

 

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冷たく澄んだ真っ新な空気。
山々と高原の間を列車は進んでいく。
一面の草原にヤクの群れが現れたかと思うと、氷山が顔をのぞかせ、そして次第に湖へと移る。
ずっと夢見ていた土地を今、通過している。
静かな感動で胸が一杯だった。

 

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ナムツォ
標高4777mにある湖。
水がガラスのように澄んで、砂浜にさざ波を立てている。大きな岩がそびえ立ち、鏡のようにその姿をくっきりと映している。
誰かがバイクで土の道を走っていく。
撮影用の大きな毛牛がぼーっと立っている。
さすがに酸素が薄いのを身体で感じ、心臓が苦しかった。


大きな湖はまるで海のようだった。
遠く彼方に山々が並び、青空に突き抜ける。
透明な水がゆったりと揺れる。まさに天国だ。
あまりの美しさに、体の苦痛を忘れた。

遠くの山の頂を眺めていると何故だか心が落ち着いた。あそこに行くことができたら、と憧れの念を抱く。きっとこの世の苦しみも悲しみも全て綺麗に取り払ってしまえるだろう。頂に立ち、一帯の景色を見ることができたら。
水も山も空気も雲も、皆生きていると思った。

カーブの多い山道をバンで降りて行く途中、谷に残る集落の跡を何度か見かけた。屋根の部分だけ綺麗になくなっているが、石の土台となっている所はそのまま残っている。
思わずあの谷でかつて生きた人々の暮らしを想った。彼らの命が巡り巡って今の自分に繋がっているとすら思う。世界はこんなにも広いが、全ての生は繋がりを持っている気がする。

岩の側面に、白いハシゴの絵が描かれているが気に入った。それは死者の為の「天国への階段」だ。自分が死んだとき、誰かが自分を想ってハシゴをかけてくれるだろうか?
そして自分の生がいつかどこかで誰かに繋がってくれるだろうか。誰かの記憶に残り続け、あるいは何百年も後、ふとした瞬間に、自分の生きた証を感じてくれる人がいるだろうか。

 

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2度目のルアンパバンへ

いつの間にか秋になっていた。

なんならもうそのまま去っていきそうな感じである。

金沢はあいも変わらず曇天ばかり。

 

それはそうと、2月に連休をとってルアンパバンへ行く計画をそろそろ本格的に詰めようと思う。

2月というと向こうは乾期。

クァンシーの滝も見事なエメラルドグリーンに輝く季節。

繁忙期である。

なのでとりあえずホテルだけは抑えようと

以前最後に泊まったムアントンホテルとムーンズホテルを予約しておいた。

去年の夏に比べるとだいぶ高くなっているが、やむなし。

観光客も多いだろう。

 

ルアンパバンには12日間滞在していた。

今でも中心地の地図はちゃんと覚えている。

好きな店も、良い夕日スポットも。

 

航空券もまずまず、言うほど高くない。

いける、いける。

 

と言うわけでだいぶん現実的になってきた。

 

あとは連休の申請をするだけだ。

 

言えば良いだけ。

 

旅に出るので休みます、と。

 

言えば良いだけなのだがなかなかタイミングが見つからない。

一週間以上の休みになるので仕事面での不安もややある。

 

いや、でも思い出そう

 

あの雄大なメコン川

そして沈みゆく太陽、揺れる小舟のシルエット

森の中の誰もいない寺院と番犬

ずっと昔から変わらない生活を送るひと達

美味すぎるカオソーイ

 

プールサイドで、流れる雲を眺めるだけの昼

フルーツ

 

 

人間には、ただ空や川を眺めるだけの時間が必要なんだと思う。

 

今行かなかったら、次はいつになるかわからない。

その頃にはもう自分の感じ方や過ごし方は変わってしまっているかもしれない。

街並みは変わってしまっているかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつの時間

孤独な生活にもだいぶん慣れてしまった。

1人での楽しみ方をちょっとずつ探って、

気持ちの良い過ごし方を見つけられるようになってきた。

 

旅をしていた時に

どんな場所に行っても

自分のペースで居場所を見つける技術を磨いてきた。

今回はそれの応用みたいな感じだと思う。

 

最近楽しみの1つにしているのは

シーシャ屋さんでシーシャを吸いながらの読書です。

シーシャ屋さんは大体どこも薄暗いから

目悪くなりそうという懸念はありつつも

ぼこぼこ煙を吸いながら無心で字を追うのが気持ち良い。

シーシャをうまく吸えるようになってからは無敵の感覚がある。

シーシャの真っ白な煙が頭の中にも充満して、

苦しくない程度の酸欠状態で本を読む。

頭の中に靄がかかっている感じになるので

考える系の本は読めない。

感じる系の本が良い。

 

今日は星野道夫氏の『旅をする木』を読んだ。

素晴らしいの一言に尽きる。

 

その本の中に、もうひとつの時間というタイトルの文章がある。

自分が生きている時間と別に、世界のどこかで別の時間が流れていることを

知っているのと知らないのとは天地の差ほど大きいと言う。

じんじんと身に染みる。

 

自分がコインランドリーで乾燥機を回している裏で、どこかの海ではクジラがジャンプしている。

朝、会社に行くのが怠くて布団の中で無意味に過ごすときも

チベットでは人々がマニ車を回しながら白い壁の街を歩いている。

曇りばかりの金沢の空も、Googleマップのように広域表示していけば

ワディラムの砂漠の上に広がる満天の星空に繋がる。

 

こういう事を想像できるのは宝だと思う。

自分の住む世界と全く違う世界があるのを

頭の片隅に置いておくことは

何かあった時の逃げ場にするとか心の拠り所にするとか以上に、

時間的にも空間的にも限られているはずの自分の人生のリミッターを緩め、心を豊かに保つことが出来る。

 

 

 

 

 

 

天津行きのフライト

ついに航空券を買った。

行き先は天津。

12月30日。

 

年越し天津をするためである。

久しぶりのフライト。

真新しいパスポートの最初のスタンプは天津になりそう。

 

なぜ天津にしたのかというと

そこに中国人の友達がいるから ただそれだけである。

 

彼女との出会いは四年前かそこらで、言語学習アプリのハロートークで知り合った。

それから彼女が奈良に遊びに来て、

次は私が北京へ行った時に遊んだ。

今年の3月にヨルダンへ行く前に立ち寄った北京でも火鍋を一緒に食べた。

 

こうしてみると会った回数は少ないが

私は彼女がなんか好きで、彼女も私のことをよく思ってくれてるのが分かるので

良い関係だと思う。

外国人の友達が多く、肩にカラフルなタトゥーを入れて、いつもパーティのインスタストーリーをあげている生粋のグローバル陽キャ。

 

ちなみに私もグローバル陽キャ路線に片足を突っ込んだ時期もあったが、身体を壊して辞めた。

以来、グローバル陰キャ

 

 

というか、陽とか陰とかどうでもいいのだ。

 

とにかくその中国人の彼女の明るさが妙に恋しくなったので年越し天津することに決めた。

 

空港に行くのも飛行機に乗るのも中国へ行くのも随分久しぶりに感じる。

 

その日までに中国語を話す感覚を取り戻したい。

いいモチベーションになりそう。

がんばろう

 

 

 

 

 

 

とるに足らない

気がつけば秋になっていた。

週末は洗濯物を一度に洗濯して、近くのコインランドリーの乾燥機に打ち込んでいる。

もはやそれが週末の楽しみにもなっている。

金沢は曇ばかりなので外に干してもいい感じに乾かないからである。

 

部屋干しと乾燥機干しは天と地ほどの差がある。

もはや同じタオルとは思えないレベルである。

10分100円なので、20分設定にして

ガンガン回っている乾燥機をぼーっと見つめていると心が安らいでいく。

コインランドリーの手間の小川で時間を潰すのも癒やされる。

 

誰にも奪われたくないささやかな楽しみの1つです。

 

そして今日もまた乾燥を待つ。

何もしない、待ってるだけの時間は自由だ

無限に続く暇とも違うので不安もやってこない。

限られた20分のなかで、ちょっとした出来事とかを思い出して楽しむ。

 

例えば、

ウィーンの市電で乗り方が分からなかったときに、「助けてあげたい」というような視線をくれた子連れのママ。

 

マチュピチュ村へ向かう列車を降りたときに、乗車券に印字された私の名前をみて、いい名前だねといってくれた駅員。

 

西安の駅でキオスクのソーセージを盗んで食べている猫を取り囲んで眺める中国人たち。

 

ベトナムへ向かうため、中国の大学寮を出て裏山のフェンスの下からスーツケースを滑り込ませ、よじ登って柵を超えた朝(時短)

 

取るに足らないことでも

ふとした時思い出すと楽しい。

 

 

金沢の夜、メコン川

いつの間にか9月になっていた。

どういう訳か、今は金沢にいる。

 

色々と疲れが溜まってきたので、夜ご飯も食べずに自転車で金沢の夜を駆け抜けてみた。

 

ただの地方都市だと思っていたけど、

飲み屋街なんかは人が多く栄えている。

しかも何気に風情がある。

悪くないけど今日は1人風を感じたかった為、

夜の街をすり抜けて心の思うままにチャリを走らせた。

 

月に向かって進むと、何ちゃらという川に当たった。  

堤防の上に座る。

秋の風が吹く。虫の声が聞こえる。

ここは金沢、目の前の川の名前は知らない。

 

でもなんだろう、すごくメコン川を感じる。

川幅なんか桁違いなのにメコン川みたいだ。

ちょうど去年の今頃だった。

ルアンパバン。

風+虫の声=ルアンパバンの方程式が成立してしまっているようだ。

 

川の流れるスピードも丁度良い。

早すぎず遅すぎず、黙々と流れる夜の川を眺めていると心まで波打ってきて感動した。

 

まだ自分がこの世に残っているということ、

その気になれば2,3日後にはルアンパバンに降り立つこともできるということ、

目の前に流れる金沢の川も、巡り巡ればメコン川になり得るということ

 

とかを考えていると、2時間くらい経っていた。

 

最近自然に触れていなかったなと思う。

 

金沢という小さなコンクリートジャングルで

低刺激の日々を過ごしすぎて忘れてしまっていた感覚を取り戻した。

 

自分の歴史に残る良い夜だった。

復帰しようと思う。