アンマン市内歩き
アンマンは割とこじんまりとした都市だが、19の丘で成り立っているらしく坂だらけで歩くのは中々しんどい。
でも、細い小道や廃墟がちょくちょく現れるので歩くのも楽しい。
ちょっと高いところに登れば、先日の城跡が遠くに見えるのも素敵。
それから案外緑が多い。
小さいお花や実のなっている木が心を穏やかにしてくれる。
ゲストハウス横の階段を登ってみると、家並みが押し寄せてくるように見えて面白い。
小粋な草やなんかもあって気に入ったのでしばらくこの階段に佇んでいた。(地面は汚いので座らなかった)
ぼーっと立ちながら、スマホで写真を編集していると
何やら物凄く急いだ様子の現地の人が
「助けましょうか?」と声をかけてくれた。
こんな所でスマホを見ながらフラフラ立っていたので、迷子の外国人だと思ったんだろう。
めちゃくちゃ急いでいたのに、わざわざ声をかけてくれる現地の人の優しさに感動した。
それから、この街で一番いけているという噂の、レインボーストリートへ行ってみた。
カフェやアートショップが点在していて楽しい通りだ。
大通りの土産屋でmade in chinaの大衆土産よりも、ヨルダンの人がちゃんとデザインしたハンドメイド品の方がいけていると思う。
難民の多いヨルダンでは、デザイナーが物をデザインして、職につけない人達にこういった仕事を与えてサポートしているらしい。
一点ものから誰かへの土産を選ぶのは楽しい。
店の人からこの難民サポートの話や、パワーストーンの話を聞かながらショッピング。
自分の中から悪いものを取り去ってくれるという黒い石のついたハンドメイドのブレスレットを買った。
物凄く気に入っていたが、酷使しすぎたか、数日後に壊れた。
それから、いい感じのブックカフェへ行ってみた。
中がすごく可愛い!
英語の本もたくさんあるし、読書にも勉強にもうってつけの場所。
スタッフの女の子は英語が出来ないようで、
「ここで本を読んでも良いんですか?」と(分かっていることではあるが一応)聞いてみると、
「ノー…?」と言われてしまった。
この本は飾りかな?
外は肌寒いが、坂を歩いて暑くなったのでミルクシェイクをオーダーした。
しばらく待っていると、別の英語を話すスタッフがオーダーの確認に来た。
雰囲気もよく、くつろげるカフェだった。
良い感じの看板や広場がある、おしゃれな通り。
レインボーストリート、おすすめです。
謎の青年と城跡
ようやくヨルダンへ到着し、無事友達にも会えた。
こんなに遠いとは…
それでも行こうと思えば行けるのだから地球は小さくて便利だね。
今日はアンマン市内のローマ劇場と城跡へ。
この客席の一番上まで登ると見晴らしが良い。
天気も良く、清々しい春の風が吹いていた。
急な勾配で足が疲れた。
舞台の真ん中に、マンホールのような箇所があってその上に立って演説とかするらしい。
この間洪水が起きた時にここも水没したらしく、泥がまだ残ったりしていた。
それから友達とアンマン城跡へ向かった。
丘が多いのでタクシーで行く方が良い、と路肩に立っていると1人の青年が話しかけてきた。
友達と青年がアラビア語で何かを話している傍で、ひたすら写真を撮り続けるわたし。
どうやら、我々がタクシーにぼったくられないかと心配しているらしい。
私はアレだが、友達はバリバリ現地人なので大丈夫だと思うけれども…
友達が美人なので、多分ナンパなのだと思う。
よくわからないが、青年が始終友達にアラビア語で話しかけ続けているので私は為すすべがなくただ付いていくしかなかった。
結局、タクシーを捕まえて3人で乗り込み城跡へ。
どんな会話をしているのか全くわからないので、これはナンパなのか。詐欺なのか。考えを巡らせる。
そんなこんなで城跡到着。
なぜかタクシー代を払ってくれる謎の青年。
城跡のチケットは観光客だけ少し高くて、現地民は格安で入れるのだが
青年が窓口の人と交渉して私のぶんもヨルダン価格にしてもらっているようだった。
それでも結局青年が払ってくれた。
この青年が何者なのか、もうそれについては考えずに城跡を楽しむことにした。
青年は絶えず友達にアラビア語で話しかけ続けている。
城跡はというと、最高に素晴らしかった。
高い丘の上にあるので見晴らしも良いし
もう朽ちた建物の跡と緑のコントラストがとても良かった。
観光客も少なく、ゆったりとした時間が流れる素敵な丘。
この場所が大好きになった。
青年はというと、カメラマンとして活躍してくれた。
石の上に腰かけたアングルで写真を撮ろうとすると、「立て」「もっと登れ」と指示してくる。
私は1人で城跡を十分楽しめたが、
友達は見るからに疲れていたので気の毒だった。
どうやら青年は18歳のムスリムで、宗教的な教えに従って私たちに良くしてくれているようだった。金を取ろうとしているわけではないらしい。
そして友達がムスリムでないことを残念に思って入信するように勧めているみたいだった。
加えて、友達が美人なので若干口説いているような感じもあった。
友達はだんだんガチでイライラし出して、
隙を見てあいつを撒こう、と耳打ちしてきた。
城跡の中にある博物館で青年が知人と話しているすきに2人で外の草原へ出て、もう大丈夫だろうと思っていると
なぜか再び青年登場。
結局城跡から市内までのタクシーにも相乗りしてきて3人で帰った。
その後は「神のご加護を」と言ってくれて、ムスリムの数珠みたいなやつを友達に渡して消えたので
結果悪い人ではなかった。
友達はというと、あいつマジで何?名前すらどうでもいいから聞いてない。という感想だった。
何はともあれヨルダン観光1日目、楽しく過ごせて良かった。
北京からウィーン、そしてアンマンへ
北京からウィーンまでのフライトは思ったよりもしんどくなかった。
というのも席が一番後ろの方だった為周りに人が少なく、シートも遠慮なく限界まで倒すことができたからだ。
エアチャイナのサービスは良好。
映画のラインナップはしょぼかったが殆ど爆睡していたので何ともなかった。
これまでの経験を生かし、飛行機に乗る前に楽なスウェットとクロックス姿に着替えていたのも良かった。
例のColumbiaのジャケットは遮光カーテンばりに光を通さないのでそれを逆向きに羽織ることで完全に周囲をシャットアウトできた。
ウィーンの空港についてから、待ち時間は5時間ほどあったがその辺のベンチで中国のパンを食べて過ごした。
ここもWi-Fiが遅くて途切れ途切れで悪かった。
ウィーン→アンマンまでは悪名高きライアンエアだったので、始終気を張って疲れた。
というのも、ライアンエアでは搭乗券を自分で印刷しなければならないのに加え、ビザチェックなるものが必要になる場合がある。というややこしいルールがあった。
今回ウィーン→アンマンはビザチェックが必須だった為、ネットで調べた通りにカウンターに並んでビザチェックプリーズと言ったところ
ドイツ語訛りの英語で、「直接ゲートへ行って」的な回答を得た。
正直聞き取れなかったが多分そういうことなのだろうと思い、そのまま出国審査まで通ってしまったが
本当にこのままゲートまで行って大丈夫なんだろうか?と不安で不安で仕方なかった。
ビザチェックがないまま搭乗口へ行くと、場合によっては無慈悲にも搭乗拒否されるという。
結果、ゲートまで行くとライアンエアのスタッフがおり、ビザチェックを頼むと何かコンピュータをカタカタして、OKのシールを貼ってくれた。
事前にネットで見たような、スタンプなどはなかった。
みんな同じシールを貰っていたのでビザチェック自体は別に必要なかったのか、未だによく分からないがこんなに人を不安にさせるルールを作るライアンエアにはもう乗りたくないと思った。
機内はヨーロッパの陽キャであふれていて、
普通に立ったまま友達とおしゃべりしたりしているのに驚いた。
機内のシートも最初からクッキーのカスみたいなのがこぼれていたし、乗客はみんなうるさいし、不愉快だった。
ここでようやくカミュを開いた。
『異邦人』。
読むのは2回目。
どういうところに文学的価値があるのかはよく知らないが、何となく面白いと思って読んだ。
近くにいる人に、何を読んでいるのか見られたくないので読書するのは大体海外にいる時だ。
家ではスマホしか眺めない。
ウィーン→アンマンは4時間ほど。
その間、横の太った乗客がトイレに行くたびに席を立たなければならず
それならわざわざ通路側を指定しなくても良かったな、と思った。
アンマンの空港が近づくとみんな窓の景色に釘付けになっていて(おそらく砂漠か何か雄大な景色)
私は右を見ても左を見ても、景色が見れず
通路の反対側にいた乗客に、夕日越しに視線を合わされて気まずい思いをしただけだった。
アンマンのクイーンアリア空港はとても小さい。
入国審査の際、日本人はビザの申請ブースへ行かなくてもいいと聞いていたのでそのままパスポートチェックを通ってすぐに入国できた。
SIMカードを売っている通信会社が2つほどあり、zainという会社の1ヶ月15ギガ、電話番号付きのカードを2700円ほどで買った。
それが一番安いプランだったからだ。
15ギガもあればいちいちWi-Fiに繋がなくて済むし、zainの回線はとても速い。
若いイケメンのスタッフが市内への出方を教えてくれた。
何を言っているのかあまりよく分からなかったけど、助けてくれているのは分かった。
外へ出て、zainのイケメンが書いてくれたアラビア語のメモを見せる。
バスの関係者も親切で良かった。
ただ、空港から市内へのバスは30分から1時間おきレベルの本数らしく、この時は出発まで50分は待った。
空港内のスタバでフラペチーノなど飲まずにさっさと外へ出れば良かった…
そしてここで、嬉しいことに中国人の女性(美人)と出会った。
仕事の関係で来ている人で、英語がめちゃくちゃ上手かった。
こんな遠く離れた異国で中国人に出会うと、同胞に巡り会えたような安心感がある。
中国では精神的日本人という言葉が流行ってるらしいが
もしかしたら自分は精神的中国人かもしれないとちょっと思ったりした。
助け合いの精神
そういえば北京の空港へ向かう途中、久しぶりに人助けをした。
东直门〜空港行きの地下鉄は窓口で買わなければならず、電子マネーの普及している中国にしては不便なことに現金しか使えない。
おそらく現金の持ち合わせがなかったと思われる外国人が窓口で明らかに困ってるオーラを出していた。
地下鉄はすでに終電間近だったので、どうするのかなあと思っていると
私の方へやってきて中々流暢な中国語で
「wechat payで送金するから現金を立て替えてほしい」と頼んできた。
私の手元には運良くちょうど25元があったが、wechat payは日本で使わないので電子マネーで返されてもなぁと思い、
返さなくていいから持って行きなよ、と25元を差し出すとそれは頑なに拒まれた。
結局wechatで金を返してもらい、大変丁寧にお礼を言われた。
聞くと留学生らしい。
思わず中国で勉強していた時の自分を重ねてしまった。
久しぶりに人助けをして気分が良い。
いつも人に助けて貰っているくせに、誰かを助けるチャンスがあまりなかったのでフェアじゃないなと思っていた所だった。
助け合い、奢り合い、全ては循環なのだと思う。
久しぶりに中国に来て、なんだかすごく懐かしい気持ちで胸がいっぱいになった。
北京は空気も悪いし、人も多いしで自分にとっての理想郷とはかけ離れているが
ちょっとした良い思い出の多い都市のひとつで愛着がある。
路上ライブをする若者。
北京滞在、8時間
なんだかんだでヨルダンへの旅がスタートした。
乗り継ぎのため、北京到着。
夜がまるまる空いていたので、中国人の友人と北京火鍋を食べに行く約束をしていた。
市内へ出るためのバスチケットを買う。
第3ターミナルから东直门という大きな駅の方面までで25元。
ここで不思議なことが起こった。
窓口のスタッフがお釣りを先に出したので、それを受け取って財布にしまい、バスの方へ2.3歩あるいてすぐにチケットを貰い忘れていたことに気づいた。
「チケットは?」というと、そいつは「さっき渡しましたよ!」と言う。
いや、それはない。
お釣りしか貰ってない。
もともとATMから100元しか降ろしていなかったので、財布の中は釣り銭の75元だけ。
他には何もない。
よく探せ、と言われ一応全身のポケットを探ったが、そもそも貰ってないのであるわけがない。
「探せ」「ない」のやり取りが続いたが 最終的にはスタッフが折れてチケットを渡してくれた。
追いかけて文句を言われないように、受け取った後はすぐさまバスに乗り込み中国人に紛れ存在感を消した。
ずっとイライラしていたが、よく考えたら自分の足元を見ていなかったので
風に吹かれてどこかへ飛んで行ったという可能性もある。
バスチケットはトイレットペーパーよりも薄い実に粗末な紙で出来ているからだ。
何はともあれ、余計な金を払わずに解決して良かった。
30分後、东直门のバス停に到着し友達と合流。
中国人の友人と、ハンガリー人の友人と3人で
河沿いの古い街並みにある火鍋店へ向かった。
友人が整理番号を取っておいてくれたのでそんなに待たずに済んだが、かなり人気の店らしく21時を過ぎても待っている人でいっぱいだった。
北京式の銅火鍋は最高だった。
沸き立つ清汤(あっさりスープ)と羊の頭肉。
タレはゴマだれしか選べなかったので黙って従ったが、正直酢で食べた方がもっと美味くなると思う。
いろいろ注文し過ぎて食べきれなかった。
ちょっと勿体無い。
ちなみにこの2人の友人は大変優秀な人たちで、ハンガリー人の方はあの清華大学に留学中である。
自分ひとり馬鹿が露呈しないように言動には十分気をつけた。
長旅だけど大丈夫?と言われたので
本を持ってきていることを話すと
何の本を読むの?と聞かれた。
幸いにも、カミュを持ってきていたので「カミュだよ」と答えることができた。
くだらない本を持ってこなくて良かった、と心の底から思った。
普段読書はしないが、こういう時のために一応映える本を持つようにしている。
深夜のフライトでウィーンへ向かうため、
火鍋は早々に切り上げて空港へ戻った。
友人は私との別れをとても惜しんでくれた。
会う前に「手土産はいらない、会えるのが楽しみ」と言ってくれたのが社交辞令じゃなくて、本気でそう思ってくれていたんだと分かってとても嬉しかった。
久しぶりの中国。
数時間ではあるが、心もお腹も満たされてとても楽しかった。
空港内では自尊心を捨て、民度低めの人たちに混じって充電スポットに居座り時間を潰した。
ゴミは散らかりまくりだし、イヤホンをつけずに音楽・ゲーム・動画垂れ流し、不快すぎる空間だが仕方ない。
私はスマホが無ければ生きていけないのだから。
充電が80パーセントを切ると不安でたまらなくなる、完全なスマホ依存症。
はたして持ってきたカミュはいつ開かれるのだろうか?
ちなみに北京の空港Wi-Fiは低速ですぐに途切れるので最悪だった。
旅と荷物
いつも旅に出る時はリュック1つと小さいスーツケースを持つ。
リュックは、今までずっとダイバー素材のものを使っていて
安物だし見た目も別に普通なんだけど
手触りが良いのと軽いのが好きだった。
マチュピチュに行った時、普通に大学に行くときのダイバー素材リュック1つで挑んだのは今思ってもヤバイ。
初海外だったのでよくわからなかった。
意外といけることがわかった。
でもやっぱり最終的にはお土産やら何やらで荷物が増えることがわかったので
それ以降はリュックと小さいスーツケースのスタイルにした。
ダイバー素材のは中国留学中にもずっと使っていて、とにかく触り心地がよくて軽くて
なにを入れても重さを感じないのが良かった。
大好きだったが、北京で猫カフェ滞在中に
猫のフンがあるのに気づかずその上に置いてしまい、大変なことになった。
できる限り洗ったが、くさすぎるので北京の空港で耐え来れずゴミ箱に捨てた。
それがダイバー素材との最後の別れになった。
今年はもっと丈夫なバックパックを買ったのでそれを使っている。
もっとも、それと小さいスーツケースで昨年の夏にルアンパバンへ行こうとして重量オーバーしてしまい
スーツケースの方を捨てたのは記憶に新しい。
旅にぴったりの鞄と、適切な荷物の量を早く把握できるようになりたい。
機内での過ごし方
皆さんは飛行機の中でなにをして過ごしますか?
関空→ウィーンで久々の長時間フライトなので、気が狂いそうにならないか心配になってきた。
窓際か、通路側か、という所も気になる。
窓際はもたれかかれる、星や夜景が見えるがトイレに立ち辛い。
通路側はトイレには行けるが横の人に起こされる可能性がある。
真ん中は論外だと思う。
機内窓からのぞく星空とか、都市の光群って空を飛んでいる時だけの景色だから、飛行機に乗ることがなければなかなか見られるものではない。
いつかヨーロッパのあたりを飛んでいる時に見えた都市の光が葉脈のようにつながっててちょっと感動した。
真っ暗な所はどこまででも暗いのに。
これが人類の英知の結晶かぁ、と思う。
大抵夜のBGMは手嶌葵さんの英語の歌アルバムで、昼のBGMはワンリパブリックである。
それからいつもColombiaのジャケット(内側が弁当の保温バックみたいな銀色になっている)を着て、内側についてるポケットにパスポートとかを入れて、フードを被って周囲の全てを断ち切って自分の世界に入るようにしている。
中国人にありがちだが、隣人が話しかけてくる系だとちょっとめんどくさい。
一度、モスクワから北京へ飛んでいる時に
隣になった中国人のおじさんと話していて
うっかり自分が奨学金を貰っている(留学中にもらえるやつ)ことを教えてしまったことがある。
そしたら異様に食いついてきて、
中国人にありがちだが月にいくら貰っているんだ?と具体的な金額まで聞き出してきて
適当に言えばよかったものを
馬鹿正直に答えてしまった。
実際、その時もらっていた奨学金は月に4000元程でこれは中国国内の水餃子店の店長の月収に匹敵する。
この話を聞いてそいつは騒ぎ出して、前の席に座っている妻?にまで
「おい、こいつ奨学金で月に4,000元貰ってるらしいぞ」と話し始めた。
やばい、寝てる間にお金取られるかもしれない、とすごく不安になった覚えがある。
今思えば知らない人とお金の話をすること自体おかしい。
それ以降は人前で金の話をしない、と心に誓った。
↑ロシア上空の夜明け