チベットのトイレ事情
チベットのトイレ事情についてお話ししようと思う。
とても汚い話なので、気分を害してしまうかもしれない。
一応誰かにとって有益な情報となるかもしれないから、真実をありのまま書き留めたい。
まずはじめに、今の中国のトイレ事情について。
昔は仕切りがないボットン便所のような、いわゆる「ニーハオトイレ」(横の人と顔を合わせて挨拶できるから)が普通だったらしい。
今でも北京の胡同が並ぶ街の公衆便所はこの仕様だが、さすがに普通の飲食店とか学校やデパートのトイレは個室がある。
ただし備え付けの紙はなく、大抵個室に大きなゴミ箱があるのでそこに捨てていく。紙が山積みになったゴミ箱が異臭を放っているのはごくありふれた光景である。
ちなみに中国人は洋式を好まないらしく、和式(?)ばかりだ。
もちろん外資の良いデパートや一般以上のホテルなら洋式が普通だし、なんなら紙も流せる。
中国の今後のトイレ革命に期待。
是非是非日本の神トイレ技術を学んで欲しいところである。
話はチベットに戻るが、ラサ市内のカフェやレストランのトイレも大体そんな感じだろう。
ただ、観光地ではニーハオトイレ率が異様に高かった。
ナムツォやヤムドクへ行く途中、検閲所のような場所にあるトイレはまだ個室だった。
しかし山を登っていくにつれ、サービスエリアっぽい場所や湖の手前なんかにあるトイレは目も当てられないほど汚かった。
確かに、標高の高い場所で都市部と同じレベルのトイレを期待するのははなから間違っている。
日本でも山とか森の中にあるトイレはボットン便所だったりする。
しかし、これらの場所にあるのはもはやトイレと呼べる空間ではない。
ただの穴である。
1番きつかったのはナムツォへ行く途中にあった公衆便所。
土産屋の人が利用者から一元か二元ほど徴収していた。
観光客は皆ここで用をたす為、それなりに列を作って待っていた。
我々もおとなしく金を払い待っていたが、なんだか様子がおかしいことに気づいた。
帰って来る人たちが嫌そうな顔をしている。
観光客はみな壁に沿って並んでいたが、その先に建物の気配がない。
もしや、これは…青空ニーハオトイレではないか。
その予感は正しかった。
壁の向こうにあったのは、
コの字に積み上げられた低い石の壁。
そしてそのコの字壁に沿って穴が4〜5個開けられており、観光客はそこで用を足していた。
何もかも丸見えである。
しかも、こちら向きである。
つまり並んでいる人と用を足している人は対面状態にある。
仕切りはない。
4〜5人の人間が用を足している姿が嫌でも目に飛び込んでくる。
思考が停止しかけた。
言うまでもないが水洗ではない為、穴の付近には汚物が積み上がりハエが飛び交っている。
地獄のような光景だった。
それから何度もニーハオトイレを経験したが、あの光景に勝るものには未だ出会っていない。
ただのニーハオトイレ、つまり屋内で横一列に穴が並んでいるだけの場所ならもう何とも思わない。仕切りなんかあったら嬉しい方だと思う。
人間あそこまで汚いものを見てしまったら、
吐き気などもはや起きてこないことがわかった。
やるか、やらないかの選択だけ。
ちなみに、1番快適だと感じたトイレは
高原上の青空トイレである。
こんなことを書くのは大人としてどうなのか分からない。
どこかの帰りに高原を走っていた時に、ものすごくトイレに行きたくなってしまったが近くにトイレがなかった。ガイドに伝えると岩を指された。
このままでは膀胱が破裂してしまうと思ったので思い切ってやってみようと、1人車の外へ。
岩がたくさんあるので仕切りは問題なさそうだった。
頭上に広がる青空。
足元に緑の草原。
天国のような場所でわたしは用を足した。
ずっと複数人で行動していたので、ここで初めて1人になった。
ずっと夢見ていた景色の中で、自分1人だけがこの開放感を許されたと思うと心が震えた。
精神的な疲労はすべて高原の風に吹き飛ばされ、心は澄み切った。
車に戻るとみんなは、青空トイレをかまして来た大人の私に、何もなかったかのように接してくれた。
グループ旅行では思いやりが大切である。
汚いトイレを思い出すと何だか気持ち悪くなってきたが、
あの高原の景色でなんとか上書きできた。
それにしても、公衆便所で金を取るならもっと整備してほしい。