TIME TRAVELER CHITA

I'm CHITA, Hongkong super star. Tibet

もうひとつの時間

孤独な生活にもだいぶん慣れてしまった。

1人での楽しみ方をちょっとずつ探って、

気持ちの良い過ごし方を見つけられるようになってきた。

 

旅をしていた時に

どんな場所に行っても

自分のペースで居場所を見つける技術を磨いてきた。

今回はそれの応用みたいな感じだと思う。

 

最近楽しみの1つにしているのは

シーシャ屋さんでシーシャを吸いながらの読書です。

シーシャ屋さんは大体どこも薄暗いから

目悪くなりそうという懸念はありつつも

ぼこぼこ煙を吸いながら無心で字を追うのが気持ち良い。

シーシャをうまく吸えるようになってからは無敵の感覚がある。

シーシャの真っ白な煙が頭の中にも充満して、

苦しくない程度の酸欠状態で本を読む。

頭の中に靄がかかっている感じになるので

考える系の本は読めない。

感じる系の本が良い。

 

今日は星野道夫氏の『旅をする木』を読んだ。

素晴らしいの一言に尽きる。

 

その本の中に、もうひとつの時間というタイトルの文章がある。

自分が生きている時間と別に、世界のどこかで別の時間が流れていることを

知っているのと知らないのとは天地の差ほど大きいと言う。

じんじんと身に染みる。

 

自分がコインランドリーで乾燥機を回している裏で、どこかの海ではクジラがジャンプしている。

朝、会社に行くのが怠くて布団の中で無意味に過ごすときも

チベットでは人々がマニ車を回しながら白い壁の街を歩いている。

曇りばかりの金沢の空も、Googleマップのように広域表示していけば

ワディラムの砂漠の上に広がる満天の星空に繋がる。

 

こういう事を想像できるのは宝だと思う。

自分の住む世界と全く違う世界があるのを

頭の片隅に置いておくことは

何かあった時の逃げ場にするとか心の拠り所にするとか以上に、

時間的にも空間的にも限られているはずの自分の人生のリミッターを緩め、心を豊かに保つことが出来る。

 

 

 

 

 

 

天津行きのフライト

ついに航空券を買った。

行き先は天津。

12月30日。

 

年越し天津をするためである。

久しぶりのフライト。

真新しいパスポートの最初のスタンプは天津になりそう。

 

なぜ天津にしたのかというと

そこに中国人の友達がいるから ただそれだけである。

 

彼女との出会いは四年前かそこらで、言語学習アプリのハロートークで知り合った。

それから彼女が奈良に遊びに来て、

次は私が北京へ行った時に遊んだ。

今年の3月にヨルダンへ行く前に立ち寄った北京でも火鍋を一緒に食べた。

 

こうしてみると会った回数は少ないが

私は彼女がなんか好きで、彼女も私のことをよく思ってくれてるのが分かるので

良い関係だと思う。

外国人の友達が多く、肩にカラフルなタトゥーを入れて、いつもパーティのインスタストーリーをあげている生粋のグローバル陽キャ。

 

ちなみに私もグローバル陽キャ路線に片足を突っ込んだ時期もあったが、身体を壊して辞めた。

以来、グローバル陰キャ

 

 

というか、陽とか陰とかどうでもいいのだ。

 

とにかくその中国人の彼女の明るさが妙に恋しくなったので年越し天津することに決めた。

 

空港に行くのも飛行機に乗るのも中国へ行くのも随分久しぶりに感じる。

 

その日までに中国語を話す感覚を取り戻したい。

いいモチベーションになりそう。

がんばろう

 

 

 

 

 

 

とるに足らない

気がつけば秋になっていた。

週末は洗濯物を一度に洗濯して、近くのコインランドリーの乾燥機に打ち込んでいる。

もはやそれが週末の楽しみにもなっている。

金沢は曇ばかりなので外に干してもいい感じに乾かないからである。

 

部屋干しと乾燥機干しは天と地ほどの差がある。

もはや同じタオルとは思えないレベルである。

10分100円なので、20分設定にして

ガンガン回っている乾燥機をぼーっと見つめていると心が安らいでいく。

コインランドリーの手間の小川で時間を潰すのも癒やされる。

 

誰にも奪われたくないささやかな楽しみの1つです。

 

そして今日もまた乾燥を待つ。

何もしない、待ってるだけの時間は自由だ

無限に続く暇とも違うので不安もやってこない。

限られた20分のなかで、ちょっとした出来事とかを思い出して楽しむ。

 

例えば、

ウィーンの市電で乗り方が分からなかったときに、「助けてあげたい」というような視線をくれた子連れのママ。

 

マチュピチュ村へ向かう列車を降りたときに、乗車券に印字された私の名前をみて、いい名前だねといってくれた駅員。

 

西安の駅でキオスクのソーセージを盗んで食べている猫を取り囲んで眺める中国人たち。

 

ベトナムへ向かうため、中国の大学寮を出て裏山のフェンスの下からスーツケースを滑り込ませ、よじ登って柵を超えた朝(時短)

 

取るに足らないことでも

ふとした時思い出すと楽しい。

 

 

金沢の夜、メコン川

いつの間にか9月になっていた。

どういう訳か、今は金沢にいる。

 

色々と疲れが溜まってきたので、夜ご飯も食べずに自転車で金沢の夜を駆け抜けてみた。

 

ただの地方都市だと思っていたけど、

飲み屋街なんかは人が多く栄えている。

しかも何気に風情がある。

悪くないけど今日は1人風を感じたかった為、

夜の街をすり抜けて心の思うままにチャリを走らせた。

 

月に向かって進むと、何ちゃらという川に当たった。  

堤防の上に座る。

秋の風が吹く。虫の声が聞こえる。

ここは金沢、目の前の川の名前は知らない。

 

でもなんだろう、すごくメコン川を感じる。

川幅なんか桁違いなのにメコン川みたいだ。

ちょうど去年の今頃だった。

ルアンパバン。

風+虫の声=ルアンパバンの方程式が成立してしまっているようだ。

 

川の流れるスピードも丁度良い。

早すぎず遅すぎず、黙々と流れる夜の川を眺めていると心まで波打ってきて感動した。

 

まだ自分がこの世に残っているということ、

その気になれば2,3日後にはルアンパバンに降り立つこともできるということ、

目の前に流れる金沢の川も、巡り巡ればメコン川になり得るということ

 

とかを考えていると、2時間くらい経っていた。

 

最近自然に触れていなかったなと思う。

 

金沢という小さなコンクリートジャングルで

低刺激の日々を過ごしすぎて忘れてしまっていた感覚を取り戻した。

 

自分の歴史に残る良い夜だった。

復帰しようと思う。

 

 

 

パスポート更新

ついにパスポートを更新した。

十年用のやつ。

証明写真が気に入らない。

キメキメで行ったらかえって変な感じになった。

むしろすっぴんのまま行ったほうがマシな気がする。

これから誰かにパスポートを見られる度に、

こいつ、写真撮るために気合入れたんやな(笑)と思われるに違いない。 

あまりにも耐えられなかったら、無くしたことにして作り直そうかな?

 

とりあえずパスポートは手に入ったので

いつでも国外逃亡できるわけだけど

今の所は計画ゼロです。

 

もう何ヶ月も日本列島の内側に閉じこもってるので、外の空気感を忘れかけている、肌が。

 

たまに外を歩いていて、外国のにおい(大抵は生ゴミのにおい)を感じて胸がザワッとする時があるくらい。

 

今は自分の生活で手一杯で、

外側のどこかではまた別の時間が流れているということを忘れる。

余裕を無くした。

余裕を無くしたことに気がつく。

そしてまた忘れる。

色んなことを忘れていく。

 

豊かだった感受性はどこへ行ってしまったんだ。

パスポートの写真ごときでうじうじしてしまう、こんな小さき自分をどうして認められようか。

 

とりあえず行きたい所思い出そう。

ウイグル、チベット、平壌、、、、

 

 

 

やる気がない。

 

 

 

同じ風に吹かれて

最近、小田和正の「たしかなこと」を狂ったように聴いてる。

 

おなじみのフレーズ「時を超えてきみを愛せるか〜」のところも

もちろん良いのですが、

「同じ風に吹かれて同じ時を生きてるんだ」という歌詞も実はあるのです。

 

愛する君のそばにいるよという意味なんだと思う。

 

でも自分のイメージは、

自分が生活してるこの場所以外の、地球上のどこか、

自分が昔行ったことのあるような

そんなところでも、等しく風は吹いて時は流れる

そんな情景を思い浮かべます。

 

今、ルアンパバンどんな感じかなー。

私にスカートを作ってくれた生地屋さんも、

なぞに誘ってくれたラオ・ボーイも

ホテルのマネージャーも同じように朝を迎えているのかな。

 

ラサから西安に戻る飛行機の中で、乱気流に揺れる度にびびってる私を見て

びびってんのか?と言ってきた中国人も、

イタリアのチョコレート屋さんで私の頬を触ってYou are soft とか言ってきた店員も、

みんな今同じ時を生きてんのかなと思うと

 

もう明日のことなんてどうでもよくなる(笑)

 

冬、ルアンパバンに行こうと思う。

クァンシーの滝が濁流じゃないところを見たい。

 

そして気づいたけど、パスポートの期限が近づいている。

初めて外国に行ってから5年たったか。

あっという間に

もっと昔から色んな所で過ごしてきた気がするけど実際は日本の片田舎で十数年間。

同じ生活をしている。

でもたぶんみんなそう。

 

この先の人生はどこで過ごしていくことになるのかな。

 

とりあえずパスポートを更新しないことには始まらないのでなんとか時間見つけてパスポートセンターに駆けこもうと思う。

 

 

 

 

 

 

この間、仕事のペコペコ大会(接待)に出たとき

ご老人に酒を注ぎながらお話を聞く機会があった。

 

君はまだ若いからあと40年はこの会社で働くことになるだろう、そう考えるとすごく長く思えるけれど

自分の道が一度見えると時の過ぎるスピードは途端に速くなるものだよ。

 

というようなことを言われた。

 

40年勤め上げるという考え方にジェネレーションギャップを感じた。

ただ、今なんとなく生きるスピードが遅いような気がしてたのは、自分の道が見えてこないからだったのかと思うと妙に納得した。

 

久々にルアンパバーンの写真を見返していると、あの蒸し暑い空気感とか、雨に濡れた葉の艶とか

鮮明に頭の中に浮かんだ。

ちょっと手を伸ばせば頭の中のマンゴーに届きそうな気がしてくる。

 

金を貯めたいので今年は海外には出ないと思う。

でもふと思いつきで飛行機に乗ってしまうかも分からない。

というか、自分の人生はそうであってほしいと思ってる。