TIME TRAVELER CHITA

I'm CHITA, Hongkong super star. Tibet

とるに足らない

気がつけば秋になっていた。

週末は洗濯物を一度に洗濯して、近くのコインランドリーの乾燥機に打ち込んでいる。

もはやそれが週末の楽しみにもなっている。

金沢は曇ばかりなので外に干してもいい感じに乾かないからである。

 

部屋干しと乾燥機干しは天と地ほどの差がある。

もはや同じタオルとは思えないレベルである。

10分100円なので、20分設定にして

ガンガン回っている乾燥機をぼーっと見つめていると心が安らいでいく。

コインランドリーの手間の小川で時間を潰すのも癒やされる。

 

誰にも奪われたくないささやかな楽しみの1つです。

 

そして今日もまた乾燥を待つ。

何もしない、待ってるだけの時間は自由だ

無限に続く暇とも違うので不安もやってこない。

限られた20分のなかで、ちょっとした出来事とかを思い出して楽しむ。

 

例えば、

ウィーンの市電で乗り方が分からなかったときに、「助けてあげたい」というような視線をくれた子連れのママ。

 

マチュピチュ村へ向かう列車を降りたときに、乗車券に印字された私の名前をみて、いい名前だねといってくれた駅員。

 

西安の駅でキオスクのソーセージを盗んで食べている猫を取り囲んで眺める中国人たち。

 

ベトナムへ向かうため、中国の大学寮を出て裏山のフェンスの下からスーツケースを滑り込ませ、よじ登って柵を超えた朝(時短)

 

取るに足らないことでも

ふとした時思い出すと楽しい。

 

 

金沢の夜、メコン川

いつの間にか9月になっていた。

どういう訳か、今は金沢にいる。

 

色々と疲れが溜まってきたので、夜ご飯も食べずに自転車で金沢の夜を駆け抜けてみた。

 

ただの地方都市だと思っていたけど、

飲み屋街なんかは人が多く栄えている。

しかも何気に風情がある。

悪くないけど今日は1人風を感じたかった為、

夜の街をすり抜けて心の思うままにチャリを走らせた。

 

月に向かって進むと、何ちゃらという川に当たった。  

堤防の上に座る。

秋の風が吹く。虫の声が聞こえる。

ここは金沢、目の前の川の名前は知らない。

 

でもなんだろう、すごくメコン川を感じる。

川幅なんか桁違いなのにメコン川みたいだ。

ちょうど去年の今頃だった。

ルアンパバン。

風+虫の声=ルアンパバンの方程式が成立してしまっているようだ。

 

川の流れるスピードも丁度良い。

早すぎず遅すぎず、黙々と流れる夜の川を眺めていると心まで波打ってきて感動した。

 

まだ自分がこの世に残っているということ、

その気になれば2,3日後にはルアンパバンに降り立つこともできるということ、

目の前に流れる金沢の川も、巡り巡ればメコン川になり得るということ

 

とかを考えていると、2時間くらい経っていた。

 

最近自然に触れていなかったなと思う。

 

金沢という小さなコンクリートジャングルで

低刺激の日々を過ごしすぎて忘れてしまっていた感覚を取り戻した。

 

自分の歴史に残る良い夜だった。

復帰しようと思う。

 

 

 

パスポート更新

ついにパスポートを更新した。

十年用のやつ。

証明写真が気に入らない。

キメキメで行ったらかえって変な感じになった。

むしろすっぴんのまま行ったほうがマシな気がする。

これから誰かにパスポートを見られる度に、

こいつ、写真撮るために気合入れたんやな(笑)と思われるに違いない。 

あまりにも耐えられなかったら、無くしたことにして作り直そうかな?

 

とりあえずパスポートは手に入ったので

いつでも国外逃亡できるわけだけど

今の所は計画ゼロです。

 

もう何ヶ月も日本列島の内側に閉じこもってるので、外の空気感を忘れかけている、肌が。

 

たまに外を歩いていて、外国のにおい(大抵は生ゴミのにおい)を感じて胸がザワッとする時があるくらい。

 

今は自分の生活で手一杯で、

外側のどこかではまた別の時間が流れているということを忘れる。

余裕を無くした。

余裕を無くしたことに気がつく。

そしてまた忘れる。

色んなことを忘れていく。

 

豊かだった感受性はどこへ行ってしまったんだ。

パスポートの写真ごときでうじうじしてしまう、こんな小さき自分をどうして認められようか。

 

とりあえず行きたい所思い出そう。

ウイグル、チベット、平壌、、、、

 

 

 

やる気がない。

 

 

 

同じ風に吹かれて

最近、小田和正の「たしかなこと」を狂ったように聴いてる。

 

おなじみのフレーズ「時を超えてきみを愛せるか〜」のところも

もちろん良いのですが、

「同じ風に吹かれて同じ時を生きてるんだ」という歌詞も実はあるのです。

 

愛する君のそばにいるよという意味なんだと思う。

 

でも自分のイメージは、

自分が生活してるこの場所以外の、地球上のどこか、

自分が昔行ったことのあるような

そんなところでも、等しく風は吹いて時は流れる

そんな情景を思い浮かべます。

 

今、ルアンパバンどんな感じかなー。

私にスカートを作ってくれた生地屋さんも、

なぞに誘ってくれたラオ・ボーイも

ホテルのマネージャーも同じように朝を迎えているのかな。

 

ラサから西安に戻る飛行機の中で、乱気流に揺れる度にびびってる私を見て

びびってんのか?と言ってきた中国人も、

イタリアのチョコレート屋さんで私の頬を触ってYou are soft とか言ってきた店員も、

みんな今同じ時を生きてんのかなと思うと

 

もう明日のことなんてどうでもよくなる(笑)

 

冬、ルアンパバンに行こうと思う。

クァンシーの滝が濁流じゃないところを見たい。

 

そして気づいたけど、パスポートの期限が近づいている。

初めて外国に行ってから5年たったか。

あっという間に

もっと昔から色んな所で過ごしてきた気がするけど実際は日本の片田舎で十数年間。

同じ生活をしている。

でもたぶんみんなそう。

 

この先の人生はどこで過ごしていくことになるのかな。

 

とりあえずパスポートを更新しないことには始まらないのでなんとか時間見つけてパスポートセンターに駆けこもうと思う。

 

 

 

 

 

 

この間、仕事のペコペコ大会(接待)に出たとき

ご老人に酒を注ぎながらお話を聞く機会があった。

 

君はまだ若いからあと40年はこの会社で働くことになるだろう、そう考えるとすごく長く思えるけれど

自分の道が一度見えると時の過ぎるスピードは途端に速くなるものだよ。

 

というようなことを言われた。

 

40年勤め上げるという考え方にジェネレーションギャップを感じた。

ただ、今なんとなく生きるスピードが遅いような気がしてたのは、自分の道が見えてこないからだったのかと思うと妙に納得した。

 

久々にルアンパバーンの写真を見返していると、あの蒸し暑い空気感とか、雨に濡れた葉の艶とか

鮮明に頭の中に浮かんだ。

ちょっと手を伸ばせば頭の中のマンゴーに届きそうな気がしてくる。

 

金を貯めたいので今年は海外には出ないと思う。

でもふと思いつきで飛行機に乗ってしまうかも分からない。

というか、自分の人生はそうであってほしいと思ってる。

 

 

 

 

草や花は

この間、いつもの道を歩いていたら

子猫の死体を見つけてしまった。

数日前に外を走り回っているのをみたばかりなのに。

 

駐車場の近くで車通りがあるので

はねられてしまったんだろうと思う。

血痕とか損傷はなかった。

 

人目につく場所だったし、可哀相すぎたので

近くの茂みの中に隠してあげることにした。 

その時は猫への慈悲で胸いっぱいだった。

 

もう硬直してしまった小さい猫の体を

茂みの中に寝かせて、その上から覆いかぶせるために草を千切った。

そして一輪だけ、ごめんなさいと思いながら花壇のお花を摘んだ時

自分の中のもう一人の自分が、草や花はかわいそうじゃないのか?と声をかけてきた。

 

植物も生きているのは同じなのに、

それはかわいそうじゃないのか。

 

自分の中で予期せぬ発想が起こったことに戸惑いを感じつつ、その場をあとにしたが

ことある毎に考えるようになった。

 

ちなみにチベット仏教では小さな虫でも殺さないらしい。

どこかに自分の納得いく考え方があるなら、ぜひとも見つけたい。

 

 

 

 

日々改心

毎日曇りの日々、雨降らずとも湿度が高くてあまり爽やかではない。

 

仕事も順風満帆というわけではないが、まあなんとかそこそこかしらという具合で毎日が風のように過ぎていく。

 

時々正気に戻って、なんてつまらないんだと幻滅する。

 

なんだろう、と思いながらまた一週間が経っていた。

  

自分は会社に雇われた一人の従業員にすぎない。

だけれども、従業員である前に、一人の人間としての人生がある。

私の人生は非常に貴重で、過ぎ去る一瞬一瞬は二度と戻ってこない。

自分の心と体を手にするのは、一度きり。

かけがえのない自分の人生の何日分もを、この会社で働くことに費やすということである。

 

そう考えると、

1日を適当な気持ちで過ごすことはとてもできない。と思う。

 

そのことをよく思い出していきたい。