TIME TRAVELER CHITA

I'm CHITA, Hongkong super star. Tibet

ヨルダン、心の準備

2月は28日までしかない。

ということは、出発までもうほとんど1週間。

 

旅の前あるあるだが本当にもうどこにも行きたくなくなってしまった。

みんなもこういう気持ちになりますか?

 

ヨルダン現地の友だちとは着実に話を進めており、

ペトラ遺跡〜ワディラムのキャンプのプランを組んだ(組んでくれた)

ありがたいことに、この2点間をその友だちの友だちが車で送ってくれるそうだ。

ガソリン代さえ払ってくれればいいと言うが、

それなりの心づけは必要だよね。

 

観光地なのにバスが全然ないらしい。

道理で、ヨルダンへ行ったバックパッカー達がヒッチハイクしているわけだ。

ちなみにヨルダンでのヒッチハイクは割と安全だと現地友だちが言っていた。

 

ネットでヨルダン旅のことを調べても、あまりヒットしないので疲れてきた。

ひたすら旅人のブログを読み漁っていると、

なんか自分が行った時に感動が薄れてしまうんじゃないかと少し怖い。

ブログを書いているプロの旅人や学生バックパッカーはみんなすごくタフに見える。

文章も上手かったり、面白かったり、旅する才能を感じる。

 

自分は一体なにがしたいのだろうか?

 

ほとんどホテルの評価しかしていない気がする。

 

 

 

今日本屋で地球の歩き方〜ヨルダン・レバノン〜の最新版を見かけたので一応買っておいた。

なんだかんだであると安心する。

かさばるので本は持って行きたくないが、暇つぶしになるし歴史や地理の知識をきちんと身につけておきたい。

 

それから、ついでに白水社のことばのしくみシリーズのアラビア語編を読んでみた。

この文字は無理だろうと思っていたが、ある程度の仕組みを知るとなんかいけそうな気がした。

 

そしてページを繰るとさらに複雑な文字が現れ、挫折した。

 

 

 

 

明るくなりたい。

 

 


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中国大陸について

ふと、もう一年も中国大陸に行っていないことに気づいた。

中国語を使ったり、中国人に会ったりする機会は日本でもあるのであんまり離れた実感がなかった。

 

なぜ急に中国の話をするのかというと

さっきiPhoneの写真を整理していて、懐かしい大連の写真が出てきたので中国大陸を思い出したからであった。

 

 

 

 

中国語の勉強をしに行こうと決めたとき、

教授に「楽しいのは台湾、強くなるのは中国」と言われた。

せっかくなら強くなろうと中国の大連を選択。

 

なぜ大連にしたかというと特に理由はなく、応募者が少なそうだったのと、日本に近く、日本の企業も多いのでまともな日本料理が食べれそうだったからである。

 

ちなみに台湾ならみんなが優しくしてくれて毎日楽しい×365日 ではもちろんないはずだし

台湾では繁体字が使われているので、長い歴史を守った漢字が好きなら、台湾という選択肢もある。

 

でも中国大陸の簡体字は簡体字で面白いし、画数も少なくて覚えやすい。

南国気候よりも、寒さのある地域が良かったというのもある。

冬の寒さに凍えたかった。

そこに風情を感じたかった。

 

そんなこんなで1年間中国にいたが、確かに強くなった気もするし、負け続けていた気もする。

私のように度胸がなくて、でも中途半端なプライドはあって、失敗を恐れるような人間には

生き方矯正プログラムとして丁度良かったのかもしれない。

 

中途半端なプライドはめためたになって、割と健康だった身体も壊し(主に胃)、

不衛生と不合理にイライラが止まらない日々だったが

中国語のスキルを身につけたことは結構大きい。

 

私はしなかったが就職にも活かせるし、

なにより中国人に紛れられる(笑)

英語の通じない中国人とお話できる。

中国を自由に便利に旅行できる。

 

 

 

中国に行っていたというと

中国大好きキャラみたいに扱われることが多いが

もう好きとか嫌いとか、そういう次元じゃなくなった。

 

地球好き?と言われるような感じで、

漠然としすぎてなんとも言えない。

 

ルアンパバンやチベットは素敵な思い出しか残ってないけど

もしそこに住んだらまた違ってくるだろう。

当たり前すぎてこんなことを書いているのもアホらしくなってきた。

 

中国は汚い部分も多いが(いろんな意味で)

面白いこともたくさんあったので

またまとめていきたい。

 

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見上げるほどのマンションが並ぶ。


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お気に入りだった麺。

具はトマトと卵。漬物系の副菜が自由取りだった。

数ヶ月して店は消えた。

中国の飲食店は移り変わりがとても速い。

美味い店が出来ては消える。その繰り返し。


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有名な锅贴のチェーン店

焼き餃子のような感じ。

スープセットの時は必ずサンラータンにしていた。本当に美味しい。

 

 


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謎に新しくピカピカの地下鉄。

駅は少ないので空港へ行くときくらいしか乗らない。

乗客のモラルは高め(バスはありえない)

 

 

 

 

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次の旅へ

いよいよ本命、ヨルダントリップまで2週間となった。

 

そしてなぜか少し怯んでいる自分がいる。

 

韓国のドミを拒絶したことから、bookingで予約済みのアンマン市内のドミトリーも無理なんじゃないかと思い始めた。

口コミはよく読んで決めた。

二段ベッドの下なら、紐と布でカーテンはつけられるが、もし上だったら詰む。

あと細い脚の二段ベッドの振動が地震みたいでこわいからイヤだ。

 

しかし、今更探してももうあんまり良いところは残ってなさそうだった。

税がかかるので評価価格よりも高くなるし…。

bookingをひたすら読み漁っていたら疲れた。

なんかいけるような気がしてきた。

 

アンマン市内には8泊くらいする。

ヨルダン以外の場所へ行くつもりはない(いけない)

ペトラ遺跡と、死海と、砂漠キャンプ

連泊でゲストハウスを予約しているが、途中で砂漠キャンプを挟むので

その間は大きい荷物を置きっぱなしにしたい。

のでやっぱり安いドミトリーの方がいい気がしている。

 

残りはヨルダンの現地友とアンマン市内を適当にぶらぶらしたり、大学とか入れるなら見てみたい。

 

 

そろそろ砂漠キャンプについて調べないと。

 

色々準備するのが急にめんどくさくなってきた。

旅前あるあるだけど、

もうどこにも行きたくない(笑)

 

いつもいつも出発前は全てイヤになる。

実は旅行に不向きなのかもしれない。

変わらない生活を望んでいるのかもしれない。

 

が、今春からは就職して環境がガラッと変わるので、きっと考え方や感じ方も変わって行くと思う。

現段階での遠方への旅行は確かに最後になりそうだ。

 

なのでやっぱり頑張って出発しようと思う。

現地のヨルダン友も楽しみに待ってくれている。

 

 

 

 

 

 

韓国友だち、整形

中国の大学で出会って、太極拳のクラスに一緒に通っていた韓国人の女友だちがいる。

 

出会った時からとても可愛いと思っていたが、

この間整形した!との報告があった。

もともとかわいいのに、さらなる高みを目指しているんだろうか…

 

先日ソウルに行った時に、一年ぶりにこの友だちに会った。

会ってすぐに、髪切ったの!のノリで、「整形したとこ、どう?!」と聞かれてちょっと戸惑った。

 

こういうのはどう答えれば良いのかよくわからなかったので、

良いね!可愛い!めっちゃ自然(?)と答えておいた。

 

ちなみに二重整形で15万ほどしたらしい。

 

もっと安い整形もありそうだが、

きちんとした(?)施術はやっぱり高いのかな。

 

韓国では整形のハードルが低いのだと改めて実感した。

髪を切るような感覚なのかもしれない。

 

 

 

もともと可愛い友だちは、TWICEみたいになっていた。

 

 

 

 


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遊びの定番、ロッテタワー

ソウルのシンボル、ロッテタワー。

遊園地、水族館、百貨店、スケートリンク、なんでも揃っている。

 

ソウルに来たらとりあえずここって感じだろうか。

 

中国人の爆買いもここで見られる。

友達は以前、ロッテタワー内のメガネ・サングラスショップでバイトしていた。

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去年まではこの中国人の列が3〜4層にもなっていたらしい。今はこれだけだ。

爆買い日本だけでなく韓国でも下火になって来ているようだ。

 

このブランド、ジェントルモンスターはあの范冰冰が使っているとかで中国人に人気である。

范冰冰といえば、中国人でその名を知らない者はいないくらいの超有名人。

色々あったが、また活動を再開するっぽい。

 

 

 

 

去年はその友達の優待券で水族館に入った。

今年は地下にあるスケートリンクへ行った。

社割みたいなものがあるらしく、正規価格の半額でチケットが買える。

といってもほとんど全て友達の奢りだったので…持つべきものは友だなと思った。

 

 

地下のスケートリンクについて前にネットで調べたとき、キムヨナが昔練習していたという情報があった。

結構広くて、天井が吹き抜けになっている(上階はロッテワールド)ので開放感がある。

 

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客は少なく、空いていて滑りやすかった。

中央部にコーンが置かれ、スピードスケートのこども教室をやっていた。

ちらほら、フィギュアスケートのレッスン生みたいな子供も見かけた。

どこの国にもスケートママはいるんだなぁと実感。

 

 

 

久しぶりにスケートをして疲れた。

友達が撮った動画を見たら、滑りが下手になっていて(元々大して上手くないが)悲しかった。

 

 

 

こうして思い出して書いてみたが、

ソウルでの遊び方はまだよくわからない。

遊びの定番と書いたが、現地の若者よりも外国人観光客の方が多いのかもしれない。

地下や一階〜におしゃれなカフェがたくさんあるので適当にお茶するならちょうど良いかもしれない。

 

 


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冬のソウルへ

なんだかんだで韓国へ行っていた。

今は帰りの飛行機の中である。

 

去年のちょうど今頃も韓国へ行った。

氷点下、極寒。

昨日は雪も降った。

用事があって奈良に戻ったついでに、関空経由で韓国へ寄ってから地元に帰ろうという軽い気持ちだった。

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一年前のソウルの寒さを忘れて、本当に舐めきった格好で行ってしまった。

韓国人はみんなワタがたくさん入ったロングコートを着ていた。

 

 

 

ソウルでは

例の親友と、それから中国で仲が良かった別の子と会う約束をしており、他の目的は全くなかった。

なので、適当な格安ドミトリーに泊まればいいや、と深く考えずに3泊で2600円ほどのゲストハウスを予約した。

 

夏休みはラオスや香港やタイでカーテンなし二段ベットのドミトリーに泊まっていたので、

もう自分には格安ドミ耐性がついているだろうと勘違いしていた。

確かにラオスやタイではそれほど苦痛ではなかった。(香港での記憶は、自分の精神衛生を保つために忘却した)

 

でもなんでだろう。

無理だった。

 

まずゲストハウスのスタッフカウンターが地下にあって、たむろしている人たちのギャングっぽさに怯んだ。

 

それからドミトリーもなんかイヤだった。(笑)

23時すぎに着いて入室した自分もだいぶ迷惑な奴だったと思う。

同室の人は愛想がない、なんか怖い。

二段ベットの上しか空いてなくて、エアコン直下。

ベットの脚が細すぎて、めちゃくちゃ揺れる。

横になったら足元だけエアコンが当たって暑い。

 

舐めすぎて、コンセントのプラグ変換器すら持ってくるのを忘れていた。

スマホの携帯バッテリーはかろうじてまだ残っていたので、一晩は凌げると思った。

 

それからシャワーを探したが見当たらない。

 

よく見たら便所の奥にあった。

脱衣のスペースがない、サンダルを持っていないので入りようがない。

 

夏休みを終えてから日本で快適な暮らしをしすぎた。突然の生活レベルの落差についていけなかった。

 

このドミトリーは、世界水準でいえば普通だと思う。

ガチ バックパッカーの方からしたら、何寝ぼけた事言ってるんだと思われるかもしれない。

 

でも私はバックパッカーではない。金は多くは持っていないが、生活レベルを落としてまで節約したくない。

 

なんか急に全部無理になってしまって、

シャワーは諦めて不快なベットに戻って速攻booking.comで別のホテルを予約した。

三泊分の金は払っていたが、どうでもよくなった。

 

 

 

よくよく思い返してみれば、ルアンパバンにいた時もゲストハウス暮らしは1週間も経たないうちに辞めてホテル暮らしに切り替えていたんだった。

 

何も学んでいない。

もう2度とこんな事をしないと誓った。

あやうく発狂してしまうところだった。

 

 

たぶん、香港やソウルのような大都市で、というところがポイントなんじゃないかと思う。

 

周りは小綺麗で水準の高い生活をしているのに、自分はプライバシーを守ることもできずに我慢しながら暮らすというのがきつい。

 

ゲストハウスが悪いわけではなく、場所によってはむしろドミトリーの方が楽しかったりするのも事実である。

小汚いとか貧乏だとかいって蔑んでいるわけではない。

旅は工夫。

色んなスタイルがある。

 

それぞれのスタイルなので

私がドミトリーを諦めてしまっても、

お前は旅人を名乗るな、などと言わないでほしい。

 

 

ちなみに無理だったゲストハウスの名前は

キムチゲストハウス。

今思えば名前もなんか怪しい気がする。

 

一晩だけ寝て、翌日の朝すぐに明洞らへんの「sleeping panda」というホステルに行った。

ここはシングルで一泊3500円もしないくらいだったと思う。

オンドルがあって、暖かかった。

バスルームも良好。

USBの差込口が2つあったのでコンセント変換プラグも必要なかった。

カウンターのスタッフもいい感じだった。

パンダのマークが可愛い。

大好きになった。

明洞の近くなので立地も良い。近くになんでもある。地下鉄も割と近い。

 

次からソウルに来るときはここに泊まることに決めた。

 

 

 

 

 

振り返ってみれば、旅の記録の半分くらいがホテルの話になっている気がする。。

 

 

 

 


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チベ隊、別れの日

5泊6日のチベットツアーはあっという間だった。

 

旅立つ前は全く知らないもの同士だったのに、縁あって共にここまで来てくれたHさんとDさんにはとても感謝している。

楽しい思い出になった。

そしてたくさんの美しい景色を共有した。

 

友達同士の仲良しグループではこんな旅できない気がする。

旅程の計画や、現地での行動なんかを通して大抵微妙な感じになっていくものだと思う。

自分は複数人で旅行したことがないからそのような偏見をもっているだけかもしれないが…

 

はじめまして、から始まって

旅を通して少しずつ距離が縮まって

居心地が良くなったところで解散。

 

まだ物足りない、と言うくらいで帰るのがちょうど良いと思う。

 

ラサを出る朝、しょっちゅう通っていた東北餃子の店で朝食を買った。

味付きの豆乳と、肉まん。

例の人の良さそうな店主に、今日帰るよと挨拶した。

そっかー、また来てね的な感じで別れた気がする。

あのおじさんはいつもニコニコしていた。

開店は6時だと言っていたから、4時とか5時から仕込みをしているのだろうか。

あのチベット族の女の子は頑張っていくんだろうか。

 

 

 

行きは鉄道だったが、帰りは飛行機にした。

空から見る山も綺麗だと聞いていたからだ。

ラサの空港は小さかったが激混みで

荷物が何度も何度も引っかかって困惑した。

 

無事に搭乗し、機内の窓から最後の青空をのぞいた。

青すぎるくらいに青いチベットの空。

名残惜しかった。

 

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昼過ぎに西安について、本当は兵馬俑なんかに行けたらいいなと思っていたが

兵馬俑はちょっと遠いので時間的に厳しかった。

 

翌朝の便で日本へ戻るため、旅の最後は実はまた西安だった。

今回のホテルは空港の近くで、ホテルと少しばかりの飲食店以外何にもない場所だった。

 

ホテルの人はとても親切で、空港までミニバンで迎えに来てくれて、次の日はかなり朝早い便だったがそれもオーケーとのことだった。

 

今回はドミトリーではなくトリプル。

横並びのベット3つ。修学旅行形式。

 

まだまだ時間があったので、ホテルの周りを散策した。

本当に何もない。寂れた畑か、小さな飲食店。古いアパート。

見捨てられた辺境の町みたいな雰囲気だった。

あんまり治安は良くなさそうだった。

 

 

Hさんは中国の火鍋を食べたことがないそうだったので、近くにあった火鍋屋に入った。

そこは単独火鍋で一人1つ小さな鍋を食べる形式だった。

本格的な火鍋ではないけど、これなら各々好きな風に食べられる。

野菜や肉はバイキングだった。

ちなみに衛生面はよろしくなく、調味料には虫がたかっていた。

野菜や肉は冷凍庫の中なのでまだ無事と言えるが神経質な人は無理だろう。

 

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一人27元。

400円ちょっと。

旅の終わりの火鍋は値段の割に美味しかった。

 

 

 

その夜、まるで修学旅行のようにはしゃいだ。

標高の高いチベットでは我慢していたはしゃぎ、大笑いがついに解禁された。

旅の思い出を3人で頭から振り返って楽しんだ。

翌朝かなり早い便だったので、そこそこで寝たがあんなに楽しい夜はなかなかない。

旅が無事に終わった安堵感も相まっていたんだと思う。

 

 

 

 

いよいよ最後、関空でお別れ。

わたしがバスに乗り込むとき、Hさんは少し泣きそうな感じで手紙を渡してくれた。

Chitaさんがいなかったら来れなかった、と。

何だか本当に旅行ドキュメンタリーみたいになってしまって、自分まで涙目になっていた。

 

 

 

あれから日本で何度か2人と遊んだ。

時が経つにつれてあの旅は夢だったかと思うほど儚く美化された。

あんな旅をまたしてみたいと思う。

 

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