ナムツォ、天の湖
本日は、ラサ市内から約100kmの「ナムツォ(ナム湖)」へ車を走らせてもらった。
ナムツォはチベットの3つの聖なる湖のうちの1つ。(残りはヤムドクとマーナサローヴァル)
「天の湖」ことナムツォ、その標高は4718m。
片道3〜4時間くらいだったかな。
とにかく遠かった。
しかし途中の風景がまた美しく、始終カメラを向けまくりの3人であった。
途中、山道へ入る際に公安のチェックがあった。この時もパスポートと許可証を提示しなければならなかった。
しかしほとんどの手続きはガイドさんがまとめてやってくれたので特に不自由は無かった。
山沿いのカーブをすごい勢いで登って行く。
対向車線には大型トラックが走ってきたりもする。すれ違う時のスピード感に本気で命の危険を感じた。
しかし切り開かれた道路を走りながら見渡す山の景色もこれまた最高だった。
今もまだ人が住んでいるような集落や、もう朽ちた村の跡、草を食む馬、ヤクたち…
昔家が建っていたような石の跡を見ていると、マチュピチュを思い出した。
何年も前、この道が切り開かれる前にはそこにも人の暮らしがあった…と思うとなんだかエモい。
人の世の儚さを感じる。
すごいスピードで山を登る車の中で、事故死するときのシュミレーションを何度も頭の中で行った。できれば死にたくないのだけど、もしそうなってしまったら、せめてあの草むらの花の下に投げ出してくれ…と。
あるいは吹き飛ばされて誰にも見えない岩陰で1人朽ち果てて、ついに発見されることはなく、やがて雪が降り、春が雪が溶かすと骨が現れて…など。
幸い、車は無事にナムツォ村に着いた。
村といっても、ホテル(のような小屋)や飲食店が数件あるだけのパーキングエリアだ。
車から降りて、集合時間までは十分に散策しておいでと言われた。
天の湖ナムツォ、標高は4718mである。
ラサに着いたときの息苦しさを上回っていた。心臓への圧が半端なかった。
それでも事前に高山病の薬を処方していた私とHさんは、息苦しさと少々の頭痛を感じるだけで済んだ。
しかし薬を処方していなかったDさんはひどい頭痛に苦しみ酸素ボンベを買って休んでいた。
かわいそうなDさんを置いて、Hさんと湖へ。
ほとりにはYou are in the heaven の看板が。
透き通ったブルーの湖、遠くに見える白い山脈。
小さなキラキラの波が控えめに押し寄せてくる。
ちょっと信じがたいくらい美しかった。
来た甲斐があった!と思わずはしゃぎたくなったが、この心臓への圧を考えると一瞬でもジャンプしようものならすぐに倒れてしまうだろう。と思い控えめに楽しんだ。
塩水湖だからか、手前の水溜りは鏡のようになっている。
写真撮影用の大きな白いヤクを連れたチベットの男達が観光客へ始終声をかけている。
撮影一回で5元と言われたが、本当だろうか?
勝手に帽子とかストールとか貸し出されてその分の金を取ろうという魂胆では?と怪しんで辞めておいた。
それよりも、外国で動物を触るのはこわい。
写真映えはGOOD。
ヤクの頭蓋骨。
乗馬体験なんかもやっている。
観光客のほとんどが中国人だ。
湖のほとりでゆっくりと物思いに耽るとか、そういった希望を叶えるには騒がしすぎた。
それでも、美しすぎる天の湖を眺めていると周り事などもうどうでもよくなっていった。
ここにテント張って眠りたい。
この高さなら星にも期待できる。
小屋のような旅館は数件あるようだったが、外国人が泊まれるかは分からない。
現にラサには外国人お断りのホテルが少なくない。
今回の吉雪ホテルも、bookingには外国人についての記載がなかったので、しつこいほどメッセージを送った。それでも返事がこないのでいろんな予約サイトからメッセージを送りまくった。そしてようやく一通「大丈夫です」と確認を取ったものである。
さて、Dさんはと言うと完全に落ちていた。(精神的に)
ただそこまで酷い症状では無かったのが不幸中の幸いといえる。
高山病対策については、事前に皆で情報交換しており、私とHさんは高い金を払って高山病用の薬(ダイアモックス:1日2回飲む)を手に入れていた。この薬は非常に高価で、わずか5錠で4千円以上する。病院で処方してもらわなければならないため診察料もかかる。
出発の前日頃から飲み始め、旅の途中も欠かさず飲み続ける必要がある。
自分の分しか持っていなかったので、Dさんに薬を分けて助けることができなかった。
チベットに限らず高山地帯へ行くならお金を払ってでも薬をもらっておいたほうが良いと思う。本当に辛そうだった、Dさん…
それでも山を降りて市内へ戻れば症状は良くなる。
本当に天へ行ってしまわないように気をつけよう。
ラサごはん、街並み
ラサ市内は近代的なビルはあまり多くないが、幾分か古い建物や、中国でよく見る四角い商店が立ち並び活気に溢れていた。
中国移動通信、中国銀行、地元のパン屋、お土産やさん、レストラン、カフェ、たくさんの店が通りに面してずらーっと並んでいる。
メインストリートは、ほとんど中国の別の都市と変わらないようた感じた。
しかしちょっと脇の道を通って裏通りへ出ると雰囲気がガラリと変わってチベット様式?の白い四角の建物が立っている。
野菜を売ったり、ヤクの肉を売ったり、チベット仏教のお経ラジオが軒先に並べられていたり…。
こっちはチベット族ゾーンとなっているのだろうか。
道行く人々の顔は浅黒く堀が深い。
女性はスカートの前に色とりどりの布を掛けている。既婚女性が身に付けるものだそうだ。
肉屋の前に置かれていたヤクの首にドキッとしつつ、ラサ探索を楽しんだ。
チベット様式の白い建物は木枠の窓がとても可愛い。お花が飾ってあったりして小粋な感じだ。
ただ気になるのは中国の国旗がいたるところに飾られていることと、公安の多さである。
人の家なのか何なのか分からないが、その白い壁にももれなく赤い旗が翻っている。
ここは中国だ、と言わんばかりに。
そして小道がちょっと開けたような場所には常時公安のパラソルが。
あたりが緊張感でピリピリしているわけではないが、決してゆるくないそういう雰囲気。
チベットのいけてる若者たちの背後。
細切りの野菜がかわいい。
どんな料理を作るのだろう。
チベット文化と中国の近代文化が融合している街。
あと何十年も経てば、色々変わってしまうような予兆があった。
このタイミングで来られて良かった。
夜は例の東北水餃子へ。
チベット族の若い女の子がバイトしていた。
しかし中国語があまり出来ず、オーダーの2/3を間違えていた。
簡単なことしか話せないようで、困っている姿がかわいそうだったので運ばれた物をそのまま食べた。
後から入って来た漢民族のカップルに、餃子一皿は何個入ってるの?と聞かれて娘がタジタジになっていると、店の奥から例のおじさんが出てきてくれた。
そのチベット族の子を思うと、何となく切なくなってしまった。
がんばれ!
次項、湖の記録へ。
車内の現状、ラサ到着
列車に揺られながら、狭いベットで寝るのはあまり快適ではない。
車内が消灯され、皆が寝静まった後でもなかなか眠れなかった。
それでも、窓の外に広がっている大地と星を想うと安らかな気持ちになれた。
外の美しい景色とは反対に、車内はすっかり汚くなっていた。カップ麺の容器はゴミ箱から溢れているし、洗面台はカップ麺の具や汁が流されて無残な姿に。トイレは…いうまでもなく惨状。定期的に掃除はされているようだが、大陸のみんながすぐに汚してしまう。
朝は混んで汚れる前に洗面所を使いたかったので、まだ暗い5時半から6時ごろにサッと起きてトイレや洗顔を済ませ、もう一度寝た。
次に目が覚めるとすっかり日が昇っていた。
Hさんたちは朝日を見ることができた、と嬉しそうだった。
廊下でストレッチマン、散らかったゴミ。音楽・ラジオ垂れ流し。
もうここまでくるとどうでも良かった。
さて、そんなこんなでラサ到着。
やや息苦しい。空気が薄い。
駅のすぐ隣にある建物の中でパスポートをチェックされるが、この手続きにやたら時間がかかった。
別の日に撮った青蔵鉄道の写真↑
とてもカッコいい。
さながらホグワーツ特急の如く。
ちなみに車内販売でワゴンが来ることもあった。
賢者の石の時のハリーのように、ぜーんぶちょうだい!をやってみたい。
駅の外で今回のガイドとドライバーに会った。
ガイドさんはなんと日本語の上手い、気さくな若い女性。旅行会社には、英語か中国語のガイドしか居ないと言われていたのに、これは嬉しい。自分の拙い中国語で通訳しなくて済む。
この日は1日目なので、無理せず安静にとのことで、そのまま車でホテルへ送ってもらった。
ラサの標高は富士山の頂上よりも高い。
はしゃぐと命取りである。
嬉しくても楽しくても、絶対にはしゃがないこと。
これがラサでのルール。
市内は中国の都市と大して変わらない。
ただ、どの店の看板にも中国語とチベット語の両方が書かれている。
片方の言語だけしか無いような看板は見当たらなかった。
メインストリートには中国の通信会社や銀行やスーパーが並ぶ。
みんな中国の標準語を話している。
中華料理も、四川・東北と揃っている。
思ったよりも随分都会だな、と思いながらホテルの周りを3人で散策。
すぐ近くに小学校があるらしく、門の前は迎えにきた保護者が溢れかえっていた。
賑やかだった。顔だけではチベット族の人なのか漢民族の人なのか分からないような人もいる。
この日、ホテルの近くにあった東北水餃子の店で夕食を食べた。
人の良さそうな漢民族のおじさんが切り盛りしている。
水餃子も、包子も最高!に美味しかった。
朝は6時からやっているそうなので、また朝ごはん食べにくるねーと約束してホテルに帰った。
ホテルは先に書いた通り、
大きなベットが3つ横に並んだ部屋で開放感あり。鍵の意味はない。
シャワーもあるが、寒暖差が激しく朝晩は冷えるのでお湯を浴びないほうがいいとガイドに忠告されていた。
乾燥していて汗もかかないので、そこまで気持ち悪くもない。
身体が大事なのでシャワーは暫く我慢。
翌日からツアーが始まるので早めに寝た。
西安の朝、念願の青蔵鉄道
09:45の列車に乗るため、朝早く宿を出た。
駅近なので歩いて行く。
10分ほどの道だが、歩いている感覚でこの街がきちんと碁盤目状になっているのが分かった。
西安の朝。中国人の朝は早い。
包子(肉まん系)の湯気、麺、お粥…
朝も美味しく、そして楽しい。
清々しい朝だった。
これから夢を叶えに行くというトキメキ。
中国の駅はたとえ地下鉄であっても必ず荷物検査のゲートを通らなければならない。
今回の鉄道は尚更厳しくチェックされる。
あらかじめ旅行会社の人が予約してくれていたチケットを窓口で受け取る。
ここでも許可証の提示は絶対である。
この先、この紙ペラ一枚の許可証がパスポートと同じくらい大事な存在になってくるのだ。
ちなみに許可証は旅行会社から「これを綺麗に印刷してください」といって送られてきた写真をそのまま印刷しただけのものである。
スキャンデータのPDFですらない、本当にただの紙(許可証)の写真だった。
なんて粗末な…でもだからと言ってそこは舐めてかかってはいけない。
この紙がないと、本気で鉄道に乗れない。
(ホームでも駅員に確認される、のちのち車内でも提示を求められる)
そんなに重要なら、もうちょっと別の形にするべきではなかろうか?
旅立ちの朝は外で食べる時間がなかったので駅構内のしょぼめ食堂でワンタンスープを注文。
普通に美味しい。ハズレなし。
HさんとDさんが注文していたものはあまり美味しくなかったらしく、1人だけワンタンを楽しんで少し後ろめたかった。
寝台列車!二等席のチケットは、3台ベットが両サイドに据えられたコンパートメント。
私が一番上の段をもらった。
荷物を入れる空間があるのはいいが、はしごは無く足をかける小さいクボミみたいなものしかないので登り降りは楽ではない。
ちなみに相部屋となったのは中国人の男性3人で各々用事があってラサに向かっているようだった。
1人は色白メガネ、漢民族風の顔をしていた。歯科医らしい。
もう1人は素朴な青年みたいな顔をした30歳くらいの人で、なんとなく軍人っぽい雰囲気があった(実際は違う)
もう1人の中国人は他の部屋に友達がいるようで、ほとんど居なかった。
歯科医と軍人と私たち3人でお話ししながら買い込んできたお菓子を食べたり景色を見たり。
西寧で高山仕様の車両に映るまでは特別良い景色でもなかった。
彼らは友好的に接してくれて、なおかつ常識ある普通の、まともな大人だった。
他の乗客達のヤバイ振る舞いを見ると、同室の中国人が彼らで本当に良かったと心から思った。
気づけば景色がすっかり変わっていた。
煤けた都市の姿はとうに消え、見渡す限りの大地に。
低い山々や湿地や湖が、かわるがわる現れては遠くに消えて行った。
いま自分はまさに地球の上を走っている、そういう感覚になる。
途中下車はできないので、朝・昼・夜・翌朝分の食料を買い込んでおく必要があったが
西安駅構内のスーパーはしけた物しか無かったのでお菓子ばかり買って肝心のパンやカップ麺は早々に尽きた。
そこで何度か食堂車へ行って食事をした。
食堂車なんて初めてなので最初はウキウキしていたが、値段は高いし、メニューにあるものをオーダーしても「あ、いま材料ないから無理〜」と言われたり、有ってもあんまり美味しくなかったり、と微妙だった。
食堂車へ移るには三等席のゾーンを通らなければならず、車両の連結部の扉は常にロックされているので自由に移動できず、いちいち扉を殴って駅員を呼ぶのが面倒だった。
三等席ゾーンはただの座席しかない。
農村から出てきた風の出稼ぎおじさんや、少数民族と思われる顔立ちの家族、何世紀も昔の世界から乗ってきたような独特の民族的な格好をした人など。バラエティに富んでいて、なんだか社会の縮図を見たような気がした。
西安からラサまでは約31時間。
車窓からの景色が壮大すぎて、全然飽きることはない。
深夜、こっそりベットから降りて窓の外に星を探してみた。
満天の星、とまではいかないが十分綺麗。
目が暗闇に慣れてくると地平線が見えてくる。
本当に何もないただの大地と、地平線と星空にただただ感激した。満足した。
チベットへ出発前夜、西安の夜
今回の旅メンは、
私、Hさん(社会人24歳女性)、Dさん(男子大学生)の3人である。
私とHさんは関空で待ち合わせして同じ飛行機にのり、西安現地にてDさんと合流する予定であった。
お互い住んでいる場所が遠かったため、LINE通話のみで話を進めてきた。いざ空港でご対面となると、なかなかの緊張感!
関空も広いので、あるフロアのエレベーター前にてひとまずHさんと会った。
挨拶を交わす。
飛行機、鉄道、と長時間の移動になるので何か暇つぶしの本でも買いましょうか、とマクドナルド前のTSUTAYAで面白そうな本を探した。
Hさんは雑学豆知識の本を、私は地理の本を買った。(ほとんど開くことはなかった)
それから有料の休憩所でとりあえず寝て、翌朝はマクドナルドでモーニング。
私はハッピーセットのホットケーキを食べた。付いてきた付録がマイメロのカップじゃなくてキティだったのでちょっとガッカリしたのを覚えている。要らなかったが、一応持って行くことにした。
フライトは定刻通り。
無事、西安に到着。
Dさんと合流。
お初のメンバーということでやや緊張しつつも、なんだか良い感じの距離感でいけそうだと思った。
あくまで、目的地を同じくする他人同士の乗り合い旅行…くらいの軽い気持ちでスタート(その後はちゃんと固い友情で結ばれた)
日本→中国の航空券の関係で、ラサ行きの列車には西安から乗ることになっていた。
そのため、乗車日の前日は西安のユースホステルに一泊。
空港からバスを乗り継いでホテルへ向かうが、その時点でもうすでにかなり夜になっていた。
23時か、もっとか…
暗いし、なんだか治安の悪そう。
ギャングの溜まり場か?という雰囲気。
本当にここなのか…という不安を胸に歩いて行くと見えてきた今回のホテル。
名前は忘れたので判明したらまた載せます。
宇宙船を模したカプセルベットが近未来的でカッコよかったので選ばせていただいた。
中に入るとすぐ受付があり、こんなに遅くなったにも関わらず普通に対応してくれた。
ちなみに中も広いが暗い。
ビリヤードの台が1つ置かれていて、周りには意味深な古い椅子が適当に並んでいる。
どうぶつの森の地下室にこういう部屋を造ったことがある人も居そう。
例えるなら廃墟ゲーセン…のような趣深さ。
小さい飲料ケースとか、散乱したカップ麺のゴミとか、ギャングの溜まり場のような退廃的な雰囲気がgood。
スタッフなのか客なのか知らないがギャングのような人たちがビリヤードで遊んでいた。
あとでビリヤードしたいね、と同行者と話しつつもそんな度胸はおそらく誰にもなかった。
とにかく朝も早いので、すぐシャワーを浴びて寝なければならない。
私とHさんは一緒に共同シャワールームに向かった。
シャワールームはトイレと同じ空間に簡易的に併設されたものだった。
暗い、汚い、なんか怖い。
とにかく閉鎖的。本当にアジトだった説あり。
比較的中国に慣れている私はまだしも、Hさんはたしか2回目とかで、若干引いているのがわかった。
しかしこの先はもっとえげつないものが待っているだろうから、ここは平然な顔をして乗り切るしかなかった。
ちなみに宇宙船?風のカプセルベットは中に鏡も付いており、なんか結構クオリティが高くて楽しかった。
各々宇宙船に乗り込み、翌朝に備える。
チベット自治区、ラサへの旅決意
〜これから書き記していくことは、1年前の夏の思い出です。現在進行形ではありません〜
NHKの青蔵鉄道ドキュメンタリーを見てすぐチベットに行きたくなった。
あの突き抜けるような青空と広大な大地と、激しい昼夜の寒暖差にペルーを思い出した。
高地は空気が澄んで新しくて、息苦しいのがまた好きでだった。
青蔵鉄道の車窓から湖や高原やヤクの群れが見られるとのことで、とにかく「青蔵鉄道」に乗りたい!の一心でラサ行きを決意した。
この列車は中国の適当な都市から乗れるが、ラサへ入るには許可証が必須。また、ガイドとドライバーを付けなければならない。
1人で行くよりも数人で行った方が安い。
とはいえ周りにチベットに行きそうな人はそうそういないので手っ取り早くネットで探した。
当時みていたのは旅仲間募集サイトの、トリッピースを利用した。(どこにもない旅を、みんなでつくる。 - トリッピース)
日時と費用などを書き込んで募集をかけると意外と声がかかったのでびっくり。
1番まともそうだった人と連絡をとる。
遂にここで 自分、Hさん、Dさんの3人組が結成された。
ガイドとドライバーを付けるために現地の旅行会社と交渉(ウィーチャット:中国で主に使われているメッセージアプリ)する役割を請け負った。中国語を話せるのが自分だけだったため。
みんなの希望と予算を照らし合わせながら、旅行会社の人と相談。
ラサ5泊 ポタラ宮・ナムツォ(湖)・ヤムドク(湖)・ジョカン寺のツアーで1人60,000円ほど。
入場料も込み。
旅行会社の提案するホテルは星付きのやや高めなものしかなかったので、ホテルは自分で手配するからいいと断った。
そして(もはやおきまりの)booking.com!
今回は「吉雪酒店」
1泊1,000円/1人 の3人部屋、トイレシャワー付き。立地はメインストリート沿いで申し分なし。近くに美味い水餃子屋有り。
吹き抜けがあって開放的。チベットの色とりどりの旗が掛かっていて雰囲気は良かったが唯一の難点は、廊下に面した窓に鍵がかからない(ドアはかけられる)
もう諦めて、貴重品だけ携帯して後の荷物は持参してきた自転車用の太いチェーンでベッドにくくりつけておいた。
旅程は以下の通り。
関空からまず西安へ飛んで1泊。
翌朝の寝台列車でラサへ向かう(31時間 1泊)
ラサで5泊。
帰りはラサから飛行機でまた西安へ飛んで一泊。
翌日の飛行機で関空へ戻る。
次にお金の話をすると、
関空⇆西安の往復航空券が大体3万円。
ツアー代金(入境許可証手数料、鉄道代、ガイド代、車チャーター代、寺のチケット代こみ)で6万円。
ラサ→西安までの片道航空券が1万円。
現地食費、お土産で2〜3万円。
8泊9日の旅でおよそ12〜3万円ほど。
日本の旅行会社を通して行くよりもだいぶ安く収まったのではと概ね満足。
ちなみにこ 今回お世話になった中国の旅行会社は、名前を百度(中国の検索サイト)で検索してもちゃんとしたのが出てこなかったのですごく不安だった。一応知り合いのチベット経験者に紹介してもらった所だったので信じてはいたが…
入境許可証という一番大事な書類を受け取ったのが、中国に入国後というギリギリのスタイル。
どれだけ催促しても、すぐ送りますとしか言わないのでイライラ&恐怖で狂うかと思った。
許可証がなければ、まず鉄道に乗ることもできない。そして当然ラサに入ることができない。
ただのふらり中国旅行ではないのだとつくづく思い知らされた。
旅欲が湧いてきた
なんだかんだで帰国してから1ヶ月が経ちました。
1ヶ月もダラダライフを送っていたので日常生活に復帰できるかしらんと思っていたけど余裕で復帰して、もはや旅の思い出に耽ることもなくなっておりました。
現在卒論のようなものを執筆中。
2月に口頭試問が終われば、3月の卒業式までフリーです。
まるまる1ヶ月、卒業旅行というやつを遂に計画し始める頃になりました。
前々からヨーロッパ・ヨルダン辺りに行こうかなーと思って航空券を調べたところ、関空からウィーンまで片道4万円ちょっと と思ったよりずっと安かった。
そしてウィーンからスペイン、ヘルシンキ、パリなども格安で行けそう。
とにかくスペインには絶対に行こうと思ってます。スペイン語の勉強も捗りそうだしね。
さて、卒業後は普通に働くつもりなので就職後しばらく海外旅行は難しそう。
そしたら国内にシフトして、日本を開拓して行けば良いのでそれはそれでオーケーですが。
そういえば今でこそ、バックパッカーの真似事なんてしていますが、
初めて外国に出たのは大学2年、20歳の時でありました。
それまでは山に囲まれた一地方でずっと田舎暮らし、外国人の友達なんて居なかったし、そもそも海外旅行にそこまで憧れてはいなかった。
まあ行けるならイタリアかな?くらいの気持ちで、まさか自分が一人で飛行機を乗り回せるようになるとは思いもしなかったんです。
きっかけは高3の時にインカ帝国展を見に行ったことでした。当時世界史でインカ史を少しやって興味を持ちはじめて、たまたま地元にインカ帝国展が来ていて友達と見に行ったら、あのマチュピチュに出会ってしまったんですね。
行ったこともないのに高原に吹く風に吹かれたような気がして(?)以後、インカ帝国ヒストリー系のドキュメンタリーやらアンデス音楽やらにハマり、いつか行ってみたいと思うようになりました。
そして数年後、20歳になった頃にちょっとした縁があって、海外渡航経験なし・度胸なし・英語自信なしの私はマチュピチュへ行くことができました。(お金で)夢を叶えられた興奮は忘れられません。
ちなみにその時は3人(うち1人は10歳)で行きました。
それからなんか勢いづいて中国に留学したり、多国籍の友達を作りまくってその国に行ったりまあ気づいたら旅中毒になっていたんです。
2015年 ペルー、中国(南京に短期留学)、上海
2016年 中国(大連に長期留学)、丹東
2017年 ベトナム、ドイツ、イタリア、北京、武漢、チベット自治区、
2018年 韓国、ラオス、ベトナム、タイ、香港
こうしてあげてみるとそんなに多くないですが、とりあえず色々行ってみるというより本当に興味のある所だけ集中して行ったという感じ。
後は現地の友達に会いに行ったのが多いです。
有名どころは情報も多いし行きやすかったのであんまり面白い事書けないかもしれませんが、チベット自治区だけは結構難易度が高くて、なおかつ素晴らしい世界だったので、1年前の思い出ではありますがシェアしたいと思います。
それからペルーのこともちょっとずつ書いて行きます(^^)